テベス
マンUからマンCへ
アルゼンチン国籍のストライカー、カルロス・テベスは、2007年にユナイテッドに移籍し、とても重要な存在となった。得点はそれほど多くはなかったが、ウェイン・ルーニーやクリスティアーノ・ロナウドの重要なサポート役であった。そしてリーグやCL優勝など、多くのタイトルを獲得する喜びを味わった。
しかし、テベスは「サポート役」の状況をあまり好まなかった。主人公になりたかったのだ。そのためライバルチームのシティから好条件のオファーを受けた際、全く迷わずに移籍を決めたのだ(2009年7月13日)。
「シティは伝統がなく、巨額なお金の力だけで選手を操っている。そしてテベスはお金のためにだけ動く愛のない人」と、ユナイテッドサポーターとシティの相性はその移籍時から一層悪くなった。
テベス自身もそれを否定しなかった。むしろ、さらに嫌われるような行動を起こしたのだ。2012年にシティがリーグ優勝をした時、テベスが「R.I.P Fergie(安らかに眠れ、ファーガソン)」と書かれたメッセージボードを掲げ話題となった。(以前、ファーガソン監督が語った「自分が生きている間はシティに負けることはない」というコメントを皮肉ったものであると推察される)
ファブレガス
アーセナルからチェルシーへ
セスク・ファブレガスはバルセロナのアカデミーで育てられたが、プロとしてのスタートをきったのはアーセナルだった。パトリック・ビエラやジウベルト・シウバなどといったスーパースターのもとで成長し、2003年から8年間ガナーズ(アーセナルの愛称)の重要な選手であった。
2011年、サッカー界のトップ選手の1人となったファブレガスは、アーセナルのスピリットが変わったことに気がついた。チームメイトには彼と同じハングリー精神がなく、クラブの計画もあまりはっきりしていなかった。
そこで彼は、ユース選手として育ててくれたバルセロナに戻ることを決め、リオネル・メッシやアンドレス・イニエスタなどが所属していたドリームチームでプレーすることとなった。
しかし、3年後の2014年、ファブレガスはプレミアリーグが懐かしくなった。最初はアーセナルに戻ろうとしたが、クラブとベンゲル監督の反応があまり良くなかったという。その時、チェルシーの監督であったジョゼ・モウリーニョが現れ、彼を獲得するチャンスを見逃さなかった。
移籍後にファブレガスはこう語った。
「アーセナルのサポーターが許してくれないのは承知の上です。しかし、私はプレミアに戻りたくて、チェルシーはそのチャンスを与えてくれました」
この発言の通り、アーセナルサポーターはファブレガスがチェルシーに移籍したことを未だに許していない。
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