ラ・リーガ バルセロナ

誘拐されたバルサのトップストライカー、キニの事件と栄光

キニ 写真提供: veteransfcbarcelona.cat

キニ開放までの期間

この状況を受けて、バルセロナの次の対戦相手だったアトレティコ・マドリードは試合の延期を提案した。しかし、プレーに差し障るほどショックを受けていた選手らを余所に、バルセロナはその提案を却下。結果、アトレティコに1-0で負けた。キニ誘拐後に行われた4試合中、バルセロナは勝ち点1しか獲得することができなかった。

3月25日、警察の取り調べの結果、ようやくキニは開放される。容疑者が身代金の振込先として共有していた銀行口座の動きが、事件を解決するための大事なポイントとなったという。

そしてキニの開放日には、スペイン代表が練習試合で最強と言われていたイングランド代表を1-2で破り、歴史的な勝利を手に入れた。翌年の1982年に現地で予定されていたワールドカップに向けて盛り上がっていたスペインのサポーターにとって、同日に起こった2つの非常に喜ばしい出来事となった。

事件後にして得点王となったキニ

プロ意識からだろうか、早く嫌な経験を忘れたかったからだろうか、開放の翌日から、キニは何もなかったかのようにチームの練習に参加した。しかし、当時監督だったエレニオ・エレーラは、彼が精神的に弱っていると判断し、その週末に行われたエル・クラシコ(レアル・マドリードとバルセロナの伝統の一戦)には出場させないことを決定した。

キニ不在のバルセロナはレアル・マドリード相手に完敗(3-0)した。その後も優勝争いに参加できず、バルセロナは5位というポジションで1980/1981シーズンを終えた。しかし、キニ自身は事件のあとにも得点を挙げ続け、20ゴールで得点王となっている。

2018年2月27日、キニは68歳で帰宅途中の車内で心筋梗塞を起こし、残念ながら死亡した。その翌週3月5日に行われたバルセロナ対アトレティコの試合では、サポーターが彼にメッセージを残している。「Quini, sempre recordat(キニ、あなたを忘れない)」と…。

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名前Uccheddu Davide(ウッケッドゥ・ダビデ)
国籍:イタリア
趣味:サッカー、アニメ、ボウリング、囲碁
好きなチーム:ACミラン、北海道コンサドーレ札幌、アビスパ福岡

14年前に来日したイタリア人です。フットボール・トライブ設立メンバーの1人。6歳の時に初めてミランの練習に連れて行ってもらい、マルディーニ、バレージ、コスタクルタに会ってからミランのサポーターに。アビスパ福岡でファビオ・ペッキア監督の通訳も務めた経験があります。

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