
数日前、友達とサッカー話をした時に次の質問をされた。「なぜ他のリーグと比べたら、ブンデスリーガには日本人選手が多いですか?」と。その時はちゃんと答えれなかった。確かにドイツと日本は文化的に似ている。日本の市民と同じく、ドイツの市民はしっかりしているし、真面目な人が多い。しかし、理由はそれだけでしょうか?そんなはずがない。
日本人選手が海外でプレーしたい時は最初にドイツを選ぶ…ブンデスリーガのチームは日本人選手に興味を持つ…今は普通のパターンかもしれないが、「パターン」は「繰り返し」から生まれる、そして「繰り返し」は「一つの成功」から生まれる。昔の出来事を探るしかないと思って、理由を調べてみた。
技術の面だけで話すと、日本のサッカースクールはアジア、そして世界のトップレベルだと思う。特に日本のユースチームに所属しているほぼ全ての若手選手は両利き。子供の時から指導されて、左足でも右足でもボールを操り、そしてシュートするようになる。なので、日本人のプロ選手が高く評価されてもおかしくない。しかし、なぜ特にドイツが日本人選手を評価しているでしょう…

ドイツの気候は一つの理由だと思う。ドリブルがうまいプレイヤー…とんでもないスピードがあるプレイヤー…こういった特徴を持つ選手を考えると、ブラジルやアルゼンチンなど、南アメリカの選手が頭に浮かぶ。だが、ドイツの厳しい気候のこともあって、南アメリカの選手は中々ブンデスリーガを行き先として選ばない。今もそうだが、ヨーロッパの4つのトップリーグ(イギリス、ドイツ、イタリア、フランス)の中に一番南アメリカの選手が少ないのはブンデスリーガである。
南アメリカから中々選手を引っ張れないブンデスリーガは隣の国(オーストリア、スイス、オランダ、スェーデン…)、またはアジア(日本、韓国)に面白い選手を探し始めた。そして、他のヨーロッパの国より日本のマーケットを詳しくなった。
それに、歴史的な出来事も関係している。ブンデスリーガが誕生してから14年後、1977年から一人の日本人がドイツでプレーし始めた。それは奥寺康彦、初めてヨーロッパに渡った日本人選手です。Jリーグが生まれるずっと前に古河電工からケルンに移籍した。当時の日本代表監督だった二宮寛はケルンの監督であったヘネス・バイスバイラーと親しかったことから、奥寺と数人の日本人選手をケルンの合宿に参加することができた。そして、ケルンはスピードのある左ウイングを探していたことがきっかけで、奥寺が選ばれた。

ケルンでの活躍が認められた奥寺はヘルタ・ベルリン、そしてブレーメンにも移籍して、合わせて9年ドイツで活躍をした。彼のおかげで日本のサッカーはドイツに評価されるようになった。
奥寺はドイツの暮らしにすぐ馴染んだという。ケルンはデュッセルドルフにすぐ近くにある。デュッセルドルフにはドイツの一番大きな日本人コミュニティーが昔から存在している。現在、デュッセルドルフには日本の企業が300社以上存在していて、1万以上の日本人が住んでいる。日本語学校もあり、年に一度日本の強大な文化祭も開催されるそうです。奥寺の経験でドイツの良さが日本に知られて、「海外ならまずはドイツ」という考えも生まれたことも考えられる。
奥寺に続き、ブンデスリーガにはもう一人有名になったアジア人がいる。それは韓国の車範根(チャ・ボムグン)です。アイントラハト・フランクフルトでは122試合に出場し、46得点を決めた。そして、バイエル・レバークーゼンに移籍し、185試合中に52得点を決めた。その素晴らしい活躍で、チャ・ボムグンはブンデスリーガの80年代のトッププレイヤーの一人に選ばれた。

奥寺とチャ・ボムグンの活躍おかげで、ブンデスリーガのクラブはアジアから選手をピークアップし始めた。そして、アジアのサッカーを詳しく知るために、アジアのクラブとの関係を作り始めた。日本での一番有名な連携は2006年に結ばれたバイエルン・ミュンヘンと浦和レッズの連携です。その連携の目標は下記のだった。
●クラブの各国に練習試合を行うこと。
●お互いのスカウティング情報をシェアし合うこと。
●ユースチームの交流。
●マーチャンダイジングに関するコラボ。
「なぜ他のリーグと比べたら、ブンデスリーガには日本人選手が多い?」という質問には一つの答えなんてないと思う。今まで積み重なった出来事がこの二つの国の素晴らしい関係を作り上げた。
他のヨーロッパの国ともそういった関係が生まれて欲しいものです。イングランドとフランスはアジアのポテンシャルに気づき、各リーグには日本人選手が増えている。しかし、私の国であるイタリアは残念ながらまだまだです…
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