愛しているものに裏切られるのはとても辛いことだ。サッカー界での裏切りと言えば、チームに忠誠を誓った選手が、一番のライバルチームに移籍するケースが少なからずある。
その際、裏切られたクラブのチームメイトやサポーターなどは、悔しさだけではなく憎しみを感じることとなる場合も多い。今回は、本日(6月17日)再開するイングランドサッカー、プレミアーリーグの歴史に残る印象的な裏切り事件をまとめてみよう。
カントナ
リーズからマンUへ
1992年のことだ。フットボールリーグ(2部相当)に加盟するリーズ・ユナイテッドが、マンチェスター・ユナイテッドと取引をした。
それは、リーズのユースで育てられプロデビューを果たしたDFデニス・アーウィン(退団から4年後にユナイテッドと契約)をクラブに戻すための取引だった。しかし、当時のユナイテッドの監督アレックス・ファーガソンにとって、アーウィンはとても大事な選手であったため、リーズからのオファーは断られている。
その取引の雑談の中で、チームにFWを求めていたファーガソン監督が「うちのカントナに興味ない?」とリーズ側から質問されたという。監督の答えは迷いなくの「イエス、欲しい」だった。
エリック・カントナはストライカーとして最強の男だったものの、性格に難があり、リーズは彼を出したかったのだ。しかしカントナはサポーターに愛されており、彼らが声を上げると移籍のチャンスがなくなる可能性もあったため、移籍話が話題になる前に素早く動く必要があった。
両クラブはカントナの取引についてすぐに合意し、斯くしてサポーターの怒りの中でカントナはリーズからユナイテッドに移籍した。そして彼はレッドデビルズ(ユナイテッドの愛称)で4回のリーグ優勝を果たし、64得点で「キング」というニックネームまで付けられるようになった。
カントナの現役引退(2008年)からはすでに12年が経っているが、リーズサポーターの怒りは未だに収まっていないという。
キャンベル
トッテナムからアーセナルへ
ソル・キャンベルはトッテナムのユースで育てられ、バンディエラ(イタリアの言葉でクラブに忠誠を誓うチームの象徴たる選手)として1992年から2001年までチームの守備を支えていた。
それだけではない。2001年にはイングランド代表の守備の柱にもなり、サッカー関係者からはヨーロッパ最強ディフェンダーの1人とまで認められるようになっていた。
話題になっていたキャンベルだが、トッテナムで過ごした約10年の中ではEFLカップ1回の優勝に留まっていた。そして彼はステップアップのためにデビューから育ててくれたクラブを離れ、アーセン・ベンゲル監督率いるアーセナルに移籍することを決めた。
トッテナムのサポーターによって、その移籍は生涯許されない裏切りとなってしまう。キャンベルがライバルとしてホワイト・ハート・レーン(トッテナムのスタジアム)に訪れる全ての試合で、ブーイングと侮辱のメッセージが待つこととなった。
話題の移籍からほぼ20年が経っているが、キャンベルは最近受けたインタビューでもトッテナムサポーターの怒りが収まっていないことを明らかにしている。
シュマイケル
マンUからマンCへ
ピーター・シュマイケルはゴールキーパーとしてサッカー界のレジェンドとなった。ユナイテッドではリーグ、チャンピオンズリーグ、UEFAスーパーカップ、国内カップなどで、多くのタイトルを手に入れている。
しかし、彼に悪い印象を持っているレッドデビルズサポーターは多いだろう。理由は明快だ。ユナイテッドの選手がマンチェスター・シティに移籍するのはご法度なのである。
シュマイケルは、ポルトガルのスポルティング・リスボン、アストン・ヴィラを経て、上記のルールを破り、シティの選手となった。そして、それを許さなかったのはサポーターだけではなかったのだ。
2002年11月に行われたマンチェスターダービーの時に起きたこと。シュマイケルの元チームメイトであり、サポーターの味方でも有名なDFガリー・ネヴィル(後のキャプテン)が試合前に彼と握手することを断り、この移籍の問題はさらに深刻なものとなった。
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