80年代の歴史的惨事の共通点
1980年代のフーリガニズム真っ只中には、いくつかの最悪の事件や事故が発生している。
1985年5月11日。イングランド、ブラッドフォード・シティ(現EFLリーグ2)の木製スタジアムで火災が発生し、56名が死亡。原因として、サポーターへの規則やスタジアム自体の安全性の欠如が挙げられた。
同年5月29日。ベルギー・ブリュッセルにあるヘイゼル・スタジアムにおけるリバプール対ユベントスの試合にて、リバプールのサポーターが暴徒化し、死者39名負傷者400名以上の惨事に。死傷者のほとんどがユベントスのサポーターであった。当時のUEFA(欧州サッカー連盟)や関係各所にも様々な原因があるとされている。
1989年4月15日。イングランド、ヒルズボロ・スタジアムで、リバプール対ノッティンガム・フォレストの試合が行われ、またもリバプールのサポーターがスタジアムの立ち見席に押し寄せてしまい、結果的に柵を突き破り96名が亡くなった。重軽傷者は700名を超え、イングランドのサッカー界で最悪の事件とされている。サポーターに対する現地関係者や警察の誘導や管理不足も指摘されているようだ。
リバプールはこの事故でサポーターを亡くしてしまったことを永遠に忘れないとして、現在クラブの公式サイトに専用ページを開設。亡くなった1人1人の写真を、追悼の言葉と共に公開している。
これらの出来事の共通点としては、いずれも原因となっている事項に、純粋なフーリガンの行動だけで引き起こされた出来事ではない部分が挙げられていること。特に、ヒルズボロの事件はフーリガンの行動というよりも、試合を観たいがために押し寄せた結果だったことが大きいと感じる。
いずれも、どちらかといえばスタジアムの老朽化や安全性と、現地関係者の当日の運営方法が主な原因と言えるのかもしれない。しかしながら、当時の実際の現場を知らない限りは、何が最大の原因なのかは言い切れないだろう。
あなたはどう感じる?フーリガニズムはサッカー文化なのか
フーリガンの根本の部分は実にシンプルで、お気に入りのクラブに対する心からの応援の熱量が異常なほど上回り過ぎているために、攻撃的になるという心理だろう。一方で、一部のフーリガン達によって全く関係のない公共物の破壊や、人々への暴力や差別など、試合と切り離されている領域に対して問題が起こっている場合もある。
全てを含めてフーリガニズムは、ある意味伝統的なサッカー文化の1つなのだろうか。それとも、文化としては認められないのか?筆者はサッカーの長い歴史の背景を通して、フーリガニズムは文化として認めなくてはならないという気持ちがある。あなたはどうだろうか?
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