Jリーグ

J1リーグ優勝を5回以上経験した選手まとめ

本山雅志(左)小笠原満男(中)家長昭博(右)写真:Getty Images

サッカー選手にとって、優勝を重ねるのはとても難しいことである。自分の努力や状態などだけではなく、チームメイトやフロント陣など、クラブに関わる人間が一丸となってハーモニーを生み出さない限りは勝利への道は開かれない。

現時点でJ1リーグの最多優勝を記録しているクラブは鹿島アントラーズで、これまでに8回(1996、1998、2000、2001、2007、2008、2009、2016)ものタイトルを獲得。次いで4回優勝を果たしているのが、横浜F・マリノス(1995、2003、2004、2019)と、近年圧倒的な結果を出している川崎フロンターレ(2017、2018、2020、2021)である。

そんな中、ではどの選手が優勝を多く経験しているかは、あまり知られていないのではないだろうか。ここでは、J1優勝を5回以上経験した選手をまとめてみよう。


ビスマルク

J1優勝経験:5回

  • ヴェルディ川崎(1993、1994)
  • 鹿島アントラーズ(1998、2000、2001)

ブラジル代表として1990年のイタリアワールドカップ(W杯)に出場したMFビスマルク(2003年引退)は、レベルの高い技術と広いゲームビジョンの持ち主だった。的確なパスワークでゲームを組み立る彼のスタイルは、多くの勝利につながった。

Jリーグ誕生の1993年にヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に加入し、2回連続年間優勝。うち1994シーズンはストライカーならずとも14得点を記録し素晴らしいパフォーマンスを見せた。

1997年に鹿島アントラーズに移籍すると、チームのエースナンバー10番が渡され、3度の優勝に貢献。2002年に母国ブラジルに戻ると決意したが、2003年にヴィッセル神戸でJ復帰。神戸で引退を迎えている。


柳沢敦 写真:Getty Images

柳沢敦

J1優勝経験:5回

  • 鹿島アントラーズ(1996、1998、2000、2001、2007)

2002年日韓W杯と2006年ドイツW杯を経験したFW柳沢敦(2014年引退)は、1996年に鹿島に加入。1度目となる鹿島時代(1996-2003)に4度のリーグ優勝を経験し、1997年に新人王、1998年に22得点を記録、2001年Jリーグベストイレブンに選出されるなど、エースとしての働きを見せた。

海外から注目され2003年にイタリアのサンプドリアに移籍するも、2003/04シーズン15試合出場の無得点に終わり退団。その後、当時同じくセリエAに所属していたメッシーナ(2004-2006)で再挑戦したが、結果を出せずに鹿島に戻ることをと決意した。

2度目となる鹿島時代(2006-2007)で、もう1度リーグ優勝を味わう。その後、京都サンガ(2008-2010)とベガルタ仙台(2011-2014)でプレーし、引退を迎えた。


FW家長昭博 写真:Getty Images

家長昭博

J1優勝経験:5回

  • ガンバ大阪(2005)
  • 川崎フロンターレ(2017、2018、2020、2021)

ガンバ大阪のユースで育ち、2004年7月にプロ契約を結んだFW家長昭博。スピードの緩急をつけた力強いドリブルで相手選手の間を突き進み、多くのJクラブで活躍した。

G大阪時代(2004-2010)は、遠藤保仁や二川孝広らの存在によって、ほとんどスタメンの機会が与えられず。それでも2005シーズンは控えメンバーとして多くの試合に出場し、リーグ優勝に貢献した。

スタメンとして4回リーグ優勝を果たしたのは、現在も所属する川崎フロンターレ(2017-)で。特に2018シーズンは、32試合中6得点7アシストを記録し、最優秀選手賞(MVP)とベストイレブンを受賞したベストシーズンとなった。

Previous
ページ 1 / 2

名前Uccheddu Davide(ウッケッドゥ・ダビデ)
国籍:イタリア
趣味:サッカー、アニメ、ボウリング、囲碁
好きなチーム:ACミラン、北海道コンサドーレ札幌、アビスパ福岡

14年前に来日したイタリア人です。フットボール・トライブ設立メンバーの1人。6歳の時に初めてミランの練習に連れて行ってもらい、マルディーニ、バレージ、コスタクルタに会ってからミランのサポーターに。アビスパ福岡でファビオ・ペッキア監督の通訳も務めた経験があります。

筆者記事一覧