プレミアリーグ アーセナル

アーセナルで冨安健洋に求められる「ハイブリッドDF」の役割とは

DF冨安健洋 写真提供:Gettyimages

欧州の移籍市場最終日となる8月31日、イングランドの名門アーセナルがイタリアの古豪ボローニャに所属する日本代表DF冨安健洋の獲得を発表した。移籍金はインセンティブなどを含めると最高で2300万ユーロ(約30億円)にまで上ると報道されており、契約期間は5年。背番号は「18」となる。

現在22歳の冨安は「守備の国」イタリアのボローニャでの2年間で公式戦64試合に出場。欧州各国クラブから高く評価され、同じイタリアのミランやアタランタだけでなく、アーセナルが本拠を置くイングランド北ロンドンのライバルであるトッテナム・ホットスパーも獲得のオファーを出していたとされる。そのため、2019年7月にボローニャ加入時は600万ユーロ(約7億8000万円)だった移籍金は4倍近くの高額となった。

【冨安健洋、ボローニャでのベストシーン(動画が表示されない場合はこちら)】


アビスパ福岡時代の冨安健洋 写真提供:Gettyimages

名門アーセナルの即戦力

かつてアーセナルには稲本潤一(現SC相模原)、宮市亮(現横浜F・マリノス)、浅野拓磨(現ボーフム)の3人の日本人選手が所属していた。背景には1995年から約2シーズンに渡って日本の名古屋グランパスエイト(現名古屋グランパス)を指揮し、天皇杯のタイトルを獲得するなど卓越した手腕と魅力的なチームを作っていたアーセン・ベンゲル元監督の存在がある。その名古屋からアーセナルに「移籍」したベンゲル監督は、1996年10月から22年間に渡って指揮を執り、リーグ優勝3回やFAカップ優勝7回など多くのタイトルをもたらした。

当時ベンゲル監督は日本人選手の獲得には積極的だったものの、即戦力として見ていたわけではなかった。特に稲本が加入した2001年は、アーセナルが毎年マンチェスター・ユナイテッドとリーグの覇権を争っていた黄金時代。稲本は攻守の要であるフランス代表MFパトリック・ビエラ(現クリスタル・パレス監督)が移籍を志願していたために獲得されるも、一転してヴィエラは残留した。稲本はカップ戦にこそ出場したが、リーグには1度も出場できずに1年で退団となった。

また、宮市と浅野は就労ビザの関係もあってレンタル移籍を繰り返した。宮市は怪我も重なり大成できず、4年半在籍したが、アーセナルでのリーグ戦出場は1試合。浅野に至ってはアーセナルの選手として1度もプレーする機会がなかった。つまり、日本人3選手合計でリーグ戦に出場したのは僅か1試合のみだった。

しかし、宮市に至っては高校から加入した選手であり、日本のJリーグクラブからの若手選手の獲得は「先行投資」の意味合いを持つ。現在22歳の冨安も若手だが、すでに欧州で3年半プレーして来た実績や移籍金の高さからして、これまでの日本人3選手の環境とは全く異なる。冨安は名門アーセナルから即戦力としての活躍が求められる初の日本人選手であるのだ。

アビスパ福岡の下部組織出身である冨安は、2015年、現役時代「アジアの壁」と称された元日本代表の主将である井原正巳監督の下で高校2年生でトップチームデビュー。高校3年時には正式にプロ契約を締結し、J1リーグデビューを果たした。188cm84kgの恵まれた体格を活かした空陸両用の競り合いの強さを見せつける衝撃的なJ1デビューとなり、10試合でプレー。しかし当時はまだボランチとセンターバック(CB)で併用され、チームもJ2降格を余儀なくされた。翌2017年にJ2で35試合に出場した冨安は守備の要となるCBとして定着し、順調な成長曲線を描いていく。

そして2018年1月、当時19歳の冨安はベルギー1部のシント=トロイデンVVへ完全移籍。シーズン途中に加入したこともあり、デビューは5月まで先延ばしとなったが、翌2018/19シーズンはレギュラーに定着。同時に2018年10月には日本代表でもデビュー。翌年1月のアジアカップ(日本は準優勝)は「冨安を発見した大会」とも言われ、代表でも20歳にして定位置を確保した。シント=トロイデンではサポーター団体「Spionkop Geel-Blauw」によるシーズンMVPにも選出され、その活躍ぶりには欧州中のクラブが興味を示した。

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