Jリーグ ヴィッセル神戸

ヴィッセル神戸のベルギー代表DFフェルマーレンがJリーグにいる幸せ

ベルギー代表としてEURO2020で戦うヴィッセル神戸DFトーマス・フェルマーレン 写真提供:Gettyimages

欧州全土の11都市で開催されている「UEFA EURO 2020サッカー欧州選⼿権(ユーロ2020)」では、ベスト8が出揃い準々決勝が始まった。ラウンド16では前回大会の覇者ポルトガル、2018年のロシアW杯を制して今大会の優勝候補筆頭であった現世界王者のフランスが共に敗退するなど、何度も番狂わせが起きた。いや、番狂わせではなく、ユーロという大会のレベルの高さを日々感じさせられている、と言った方が適切だ。

そんなハイレベルな大会の準々決勝に挑んでいる選手たちの中に、現在Jリーグでプレーしている選手が1人いる。明治安田生命J1リーグに所属するヴィッセル神戸のベルギー代表DFトーマス・フェルマーレンだ。ちなみにJクラブに所属する選手がユーロに出場するのは2000年大会に旧ユーゴスラビア代表の主将としてプレーしたドラガン・ストイコビッチ(当時名古屋グランパスエイト所属)以来21年ぶりである。

ベルギーはW杯やユーロでの優勝経験こそないが、ロシアW杯では日本に劇的な大逆転で競り勝つなど3位へ大躍進。大会直後の2018年9月からはFIFA(国際サッカー連盟)が毎月発表する世界ランキングでトップを守り続けている今大会の優勝候補国である。

その中で現在35歳のフェルマーレンはここまで全5試合に出場。グループステージの初戦と第2戦は終盤の途中出場だったが、フィンランドとの第3戦から先発起用されている。現地時間6月27日に行われたラウンド16のポルトガル戦でも3バックの中央でフル出場。相手国の絶対的エースであるクリスティアーノ・ロナウド(ユベントス)を封じ、見事に1-0の完封勝利で準々決勝進出に大きく貢献。そんな殊勲の活躍でポルトガルに勝利した直後、「Jリーグを過小評価してはいけない」と現地メディアに対して語る姿に我々日本のサッカーファンは胸を熱くした。


アーセナル時代のトーマス・フェルマーレン 写真提供:Gettyimages

アーセナル1年目での無双ぶりは「世界最高のCB」

現在の神戸は世界最高の選手とも表現できる元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタを始め、多くの有力選手が揃った豪快な陣容を誇る。しかし、チームの成績や勝敗を左右するのは、そのイニエスタでもなく、今や外国籍選手で最も重要な働きをしているMFセルジ・サンペールでもなく、日本代表に定着して今季のJ1でも13ゴールを挙げているFW古橋亨梧でもない。フェルマーレンである。

フェルマーレンが加入して以降、神戸はチーム全体の守備が引き締まり、「天皇杯JFA第99回全日本サッカー選手権大会」でクラブ史上初タイトルを獲得。2020シーズンは彼のコンディションが定まらず、14試合にしか出場できなかったJ1リーグで14位に沈んだが、彼が復調したAFCアジアチャンピオンズリーグ(ACL)ではベスト4へ進出した。

2009年の夏に主将を担っていたオランダのアヤックス・アムステルダムからイングランドの名門アーセナルへ加入したフェルマーレン。しかし、アーセナルファンである筆者は彼に懐疑的だった。公称183cmとされる身長は180cmという説もあり、決して当たりに強くなさそうな外見と相まって、世界最高峰のイングランド・プレミアリーグで高さや強さで圧倒的に不利になるのではないか?と見えたのだ。

当時のアーセナルは、2003/04シーズンにプレミアリーグを無敗で優勝した“インビンシブルズ(無敵の軍団)”のメンバーが毎年のように退団していた時期で、前年にエースFWティエリ・アンリ、その後日本の清水エスパルスでもプレーすることになるフレディ・ユングベリがチームを離れていた。そして、2009年の夏には最後に残っていた守備の要のコロ・トゥーレがマンチェスター・シティへと高額な移籍金で引き抜かれた。その代役がフェルマーレンだった。

しかし、筆者の考えは浅はかであり、その眼は節穴だった。アーセナルへ加入したフェルマーレンはフランス代表DFウィリアム・ギャラスとセンターバックでコンビを組み、リーグ開幕戦から自身もゴールを奪って大勝に貢献。高さはなくてもフィジカルコンタクトや球際の競り合いが強く、相手FWの前に出て奪うインターセプトや積極的な守備で最終ラインを高く設定し、裏へ抜け出されてもスピードと読みの鋭さによる的確なカバーリングを披露していた。いわゆるストッパー型もリベロ型も兼備した完璧なCBだった。

そのうえで開幕から7試合で自ら4ゴールを挙げるなど、得点源としてもチームを牽引。リーグ戦に限っては開幕から31試合連続先発出場を続けた。とにかくアーセナル加入初年度の彼は「向かうところ敵なし」といった“無双”状態で、当時は「世界最高のCB」と言えた。

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