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サッカー史に残るPKミス10選

ルイジ・ディ・ビアジョ(1998W杯準決勝)写真提供:Gettyimages

3位:ルイジ・ディ・ビアジョ(イタリア)

ルイジ・ディ・ビアジョは、イタリアのローマ出身の元同国代表サッカー選手。現在は監督を務めている。主にローマで活躍した選手である。ディ・ビアジョのPKの失敗は1998年のワールドカップだった。同大会の開催国フランスを相手にした準決勝はPK戦で決着がつくことになった。PK戦ではディ・ビアジョがバーに当ててフランスが勝利する。


ジョン・テリー(2008CL決勝)写真提供:Gettyimages

2位:ジョン・テリー(イングランド)

ジョン・テリーは、イングランドのロンドン出身の元同国代表サッカー選手。現在はアストン・ビラの監督アシスタントを務めている。テリーが外したPKは今もサポーターの頭に刻まれていることだろう。2008年チャンピオンズリーグ、テリーの所属するチェルシー対マンチェスター・ユナイテッドの決勝戦の試合である。テリーがPKを決めればチェルシーが優勝するという局面で外し、ユナイテッドが6-5で制してチャンピオンズリーグ優勝を果たした。


ロベルト・バッジョ(1994W杯決勝)写真提供:Gettyimages

1位:ロベルト・バッジョ(イタリア)

ロベルト・バッジョは、イタリアのヴィチェンツァ県出身の元サッカー選手。キャリア通算で318ゴールを挙げたイタリアのビッグスターである。しかし、バッジョのキャリアは嬉しい思い出ばかりではない。残念ながらイタリアのサポーターの間では、バッジョを「1994年にアメリカで開催されたワールドカップの決勝戦でPKを外した男」として覚えている人が多くいる。バッジョがPKを外しブラジルが2-3で優勝を果たした。

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名前:Larese Emanuele(ラレセ・エマヌエレ)
国籍:イタリア
趣味:サッカー、テニス、読書
好きなチーム:ASローマ、FC東京

16年前に来日したローマ出身のイタリア人です。SBヴァンサン・カンデラのユニフォームを貰い、ASローマのサポーターになりました。主に、翻訳と通訳を中心に活動しています。

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