
イブラヒモビッチ
ミラン所属のズラタン・イブラヒモビッチは、両親の離婚後に父親と住むこととなり、スウェーデンのマルメで貧乏な生活をしていた。生き残るためには物を盗んだり、多くの喧嘩に参加したりした、と自伝の『I AM ZLATAN』で語っている。
幸いにもイブラヒモビッチは強い精神と優れたサッカーセンスに恵まれ、得点を積み重ねて目の前の道を強引に切り開いた。地元のマルメで大活躍すると一斉にヨーロッパの名門クラブから声がかかり、インテル、バルセロナ、パリ・サンジェルマン(PSG)などでエースとしてプレーすることとなった。
彼の勢いは未だに止まらない。2019年12月27日にイブラヒモビッチがミランに復帰してから(2010-2012年にも同クラブに所属)ロッソネーリ(ミランの愛称)は彼の優れたプレーによって、別のチームになったかのように多くの勝利を重ねている。

ディ・マリア
レアル・マドリードでレジェンドとなり、現在PSGでプレーしているMFアンヘル・ディ・マリアは、アルゼンチンのロサリオにある天井の一部がない家で幼少期を過ごした。
父のミゲルも若い頃にプロを目指し、リーベル・プレートでプレーした経験もあったが、膝の怪我によってサッカー人生が台無しとなり、炭鉱で働く生活となった。
ディ・マリアも家族を支えるために10歳の頃から父親の仕事を手伝うことになる。また、父親の夢を叶えることを目標にして大好きなサッカーに全てをかけ、17歳となった2005年に地元のロサリオでプロデビューを果たしている。
その後、2007年にポルトガルのベンフィカから突然のオファーが届くと、ディ・マリアは迷わずヨーロッパに渡ることとなった。
当時のインタビューでは「ベンフィカから突然のオファーが届いた時はすごく驚きました。でも人生1度のチャンスだと思って、すぐに承諾しましたね。親は僕のために一生懸命働いてくれました。これからは僕が支える番です」と語っている。
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