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イタリアのサッカーに再び栄光を与えると言われていた選手たちがいた。フランチェスコ・トッティ、アレッサンドロ・デル・ピエーロ、クリスティアン・ビエリなど「ゴールデン・ジェネレーション(黄金世代)」の後継者になることを期待された選手たちだ。ところが彼らは失敗し、ここ数年で目立たないまま引退、あるいはイタリアを離れることとなった。
なぜ彼らは失敗したのだろうか?理由は様々だが、ミラン、またはユベントスでプレーしてからキャリアが思い通りに進まなかった共通点のある、セリエAでスターになり損ねた選手たちを紹介しよう。
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リッカルド・モントリーボ
若い頃アンドレア・ピルロの後継者と言われたリッカルド・モントリーボは、数日前(2020年2月18日)に正式に引退を発表した。代理人のジョバンニ・ブランキーニ氏は彼のキャリアを振り返って、こうなるはずではなかったと詳細に語っている。
1985年生まれのモントリーボは、アタランタのユースで育てられ、子供の時から注目を浴びていた。ボランチ、センターハーフ、トップ下など複数のポジションをカバーできた彼はフィオレンティーナで名を馳せ、輝かしい未来が予測されていた。しかし、2012年にミランに移籍してから怪我が多発し、2019年まで活躍できないまま時間が過ぎた。退団の際には、自身への待遇の悪さを理由にミランに不満をぶつけている。
イタリア代表選手としても何度も選抜されてきたモントリーボだが、出場機会はそこまで多くは得られなかった。代表チームの監督たちは彼の実力を認めるも、コンディションの良い選手を優先に起用していたためだ。結果、モントリーボは国内でも国際的にも目立たないまま引退を迎えることとなった。
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ステファン・エル・シャーラウィ
ステファン・エル・シャーラウィは、若干27歳にして引退に近いベテランのように、イタリアから中国に旅立った。彼はジェノアで育てられ、2011年6月にミランに渡った。当時のロッソネーリ(ミランの愛称)にはイブラヒモビッチ、カッサーノ、ロビーニョ、インザーギなどが所属していたにもかかわらず、エル・シャーラウィは高く評価されて多くの出場機会を得ていた。
若きエル・シャーラウィの活躍を見たサポーターは、彼がミランのレジェンドになることを信じていた。しかし、多くの怪我でコンディションを整えることができなかったエル・シャーラウィを、ミランがモナコにレンタル移籍させるとクラブとの関係が悪化した。そして最終的にはローマに渡ることとなった。
エル・シャーラウィはミランに関して「このクラブは私にとって家族みたいなものだった。しかし、私が怪我で苦しんでいた頃、裏でひどいことを言われていたのを耳にして、もう自分の居場所ではないと確信した」と語っている。
エル・シャーラウィにはイタリアでスーパースターになる実力があった。しかし唯一、継続力を身に付けることができず、2019年7月に中国の上海緑地に移籍し、現在はプレーができない日々を繰り返している(中国プロサッカーリーグは現在新型肺炎で無期延期のため)。
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