数日前から日本とイタリアのサポーターを喜ばせる話が少しずつ高まっている。それは、かつてインテルに所属(2011-2018)していた日本代表DF長友佑都がセリエAに復活するという話です。
日本代表DF冨安健洋が所属するボローニャは守備で悩んでおり、現在2つのオプションを検討している。1つはトリノでプレーしている23歳の若手DFケヴィン・ボニファーツィの獲得です。しかし、本人がスパル(SPAL)への移籍を望んでいると言われていて、どんどんロッソブルー(ボローニャの名称)への可能性からは離れている。
そして、もう1つのオプションが長友の獲得です。長友は現在所属しているガラタサライとの契約解除を交渉していて、イタリアのメディアによるとボニファーツィより安価でチームにフィットする可能性が高い。長友のボローニャへの移籍が確定した場合、冨安はサイドバックのポジションからセンターバックとして使われるようになると報じられている。
長友のセリエA復活の可能性を聞くと、彼がインテルに移籍した頃にイタリアで話題になっていた契約時の裏話を思い出す。
冬の移籍期間ギリギリで長友の獲得に挑んだインテル
2011年1月。シーズン途中で解任されたラファエル・ベニテス監督の後、インテルはレオナルドを新監督に選んで1ヶ月が経っていた。夏の移籍期間中にベニテス監督が望んでいた選手が獲得されなかったことが話題になって、サポーターはイライラしていた。
そのこともあって当時インテルの会長だったマッシモ・モラッティ氏は資金を用意し、冬の移籍期間の最終日に、サンプドリアからFWジャンパオロ・パッツィーニと、ジェノアからDFアンドレア・ラノッキアを獲得した。
しかし、レオナルド監督にはどうしてもインテルに呼びたい選手がもう1人いた。長友だった。2010年の夏に買い取りオプション付きでFC東京からチェゼーナにレンタル移籍をした長友は、セリエAのペースにはすぐ慣れて実力を発揮していた。しかし、移籍期間の最終日ということもあり、インテルには時間がなかったのだ。
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