ワールドカップ 代表チーム

日本代表の救世主、乾貴士のキャリアを振り返る

日本時間今月25日0時に行われた日本代表対セネガル代表。貴重な同点ゴールを決めた乾貴士のキャリアを改めてご紹介したい。

野洲高等学校

高校時代から天才ドリブラーとして全国に名を轟かせた。2年生で左ウイングのレギュラーを掴むと、第84回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝を果たした。テクニカルな野洲高校のサッカーは「セクシーフットボール」と形容され、全国的な人気を博した。

横浜F・マリノス(J1)

2007年、高校卒業後に横浜F・マリノスへ入団。加入初年度にプロデビューを飾ったものの、出場はわずか7試合のみ。1シーズンで当時J2に降格していたセレッソ大阪へ期限付き移籍となった。

セレッソ大阪(J2)

2008年6月、セレッソ大阪に加入すると現ドルトムントMF香川真司と息の合ったプレーを披露。その才能を開花させ、シーズン終了後には完全移籍を果たした。移籍2年目にはJ2クラブに所属しながら日本代表に招集されている。

ボーフム(ドイツ2部)

2011年にドイツ2部のボーフムへ完全移籍。1年目からリーグ戦30試合に出場し、チームトップの7得点を記録。ドイツ国内で評価を高めた。

アイントラハト・フランクフルト(ドイツ1部)

2012年にドイツ1部のアイントラハト・フランクフルトへ完全移籍。移籍1年目から33試合に出場し、日本人最多となる6ゴールを記録するなど、上々のブンデスリーガデビューを飾った。2年目はフィジカル面での弱さやボールロストの多さを指摘され、14試合と出場機会を減らしたが、3年目は高い戦術理解能力を活かして中心選手に返り咲いた。チームの好調も相まって評価を高めた乾は、自身の夢でもあるスペインリーグへの挑戦権を掴む。

エイバル(スペイン1部)

2015年にエイバルへ完全移籍。ホセ・ルイス・メンディリバル監督の指導で守備が向上。1年目は27試合、2年目は28試合、3年目は34試合と数字にも現れているようにチームに欠かせない存在となった。

ベティス(スペイン1部)

今月1日にベティス移籍が発表された。来季はUEFAヨーロッパリーグに挑戦する。