
「勝ち点3」ルール導入のきっかけ
評論家やメディアでは話題になっているピケ氏のこの提案だが、FIFA(国際サッカー連盟)やUEFA(欧州サッカー連盟)で議論される極めて可能性は低いだろう。ピケ氏自身が「組織に入っても変えられない」と否定的なコメントをしていることも報じられており、実現性には疑問符が付く。
そもそも、より攻撃的なプレースタイルを促し、引き分けを減らすために勝利の価値を高めるという同じ目的で、試合の勝利チームに与えられる勝ち点が「2」から「3」となったのは、1981/82シーズンのイングランドリーグの開幕戦(1981年8月29日)が始まりとされている。これはリーグ全体の方針転換によるものだった。
時を同じくして、1982年のFIFAワールドカップ(W杯)スペイン大会で、イタリア代表が3度目の優勝を飾った際に「勝ち点3論争」を後押しした背景がある。イタリアは1次リーグは3戦3分け(第1戦ポーランド代表と0-0、第2戦ペルー代表と1-1、第3戦カメルーン代表と1-1)。カメルーンも3分けで並んだが、イタリアが総得点で上回り2位で2次リーグに進出、結果的に1勝もできないまま2次リーグに駒を進めたことで批判の的となった。
その後、この「勝ち点3ルール」はFIFA主催大会や他のリーグにも広がり、多くの主要リーグで標準となった。国際大会では、1994年のアメリカW杯予選から正式に採用された。

ピケ氏による試合数の削減の提案も
確かに2002/03シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ(CL)決勝、ユベントス対ミラン(PK戦でミラン優勝)のように「史上最も退屈なファイナル」と酷評され、「初めからPK戦をやった方がマシだった」とまで言われたスコアレスドローが存在するのも事実だ。だがそれは見方を変えれば、卓越した守備戦術の賜物でもある。ピケ氏の提案がサッカーファンの間で賛否両論を巻き起こしていることで、その議論の幅広さがよく分かる。
ちなみにピケ氏は、毎年開催される欧州最大規模のスポーツビジネスカンファレンス「リーダーズ・ウィーク・ロンドン」に参加した際、報道陣に対し「試合数が多すぎる。選手たちが『負傷が続出している。3日おきに試合があり、夏休みを取る時間もない』と訴える姿を我々は目にしている」とも訴えた。
「自身がサッカー界を統括する立場であればどうするか」と尋ねられると「試合数の削減を提案する」とし、「各リーグを訪れ、20チームから16チームに減らすよう提案する」と述べ、UEFAやFIFAに対しても現状を改めるよう伝えるだろうと答えた。
実際、国際プロサッカー選手協会の欧州支部、欧州各国リーグが加盟する「欧州リーグ」、そしてスペインのラ・リーガは、FIFAの国際試合の日程に関して欧州連合(EU)の独占禁止法規制当局に共同で申し立てを行っている。
ピケ氏の提案はあくまで、「カスタマーファースト(観客優先)」と「プレーヤーズファースト(選手優先)」を並行して実現するための提案であり、単なる思い付きではないのだ。現実問題として、試合数の削減はクラブの収入源に直結し、それは選手1人1人の年俸や移籍金ビジネスにまで波及するだろう。
世界的DFだったピケ氏が、完封試合をあえて全否定するようなこの提案(スコアレスドローは勝ち点0)には驚きもある。実現性は限りなく低いが、「攻め合ってこそのサッカー」という競技の原点を思い出させる契機となるのではないだろうか。
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