その試合が行われたのは「Jリーグの日」とされている5月15日だった。2022明治安田生命J3リーグの1つの試合に、1万3000人を越える観客が詰めかけた。対戦カードは、長野パルセイロ対松本山雅。「信州ダービー」と呼ばれる。会場は長野のホーム、長野Uスタジアムだ。
サッカー専用スタジアムで行われたこの信州ダービーは、熱戦ながら0-0のスコアレスドローで終わる。その盛り上がりに対し、数多くのポジティブな声が寄せられた。29年前の同日に行われたJリーグ誕生時の一戦を振り返って比較し、見えてきた「Jリーグが目指す1つのカタチ」を考察する。
29年前の同日に行われたJリーグ開幕戦
29年前。1993年5月15日、日本サッカー界初のプロリーグとしてJリーグは産声を挙げた。開幕戦のカードは、ヴェルディ川崎対横浜マリノス。Jリーグが誕生する以前に日本のトップリーグとして存在した日本サッカーリーグで人気だった2クラブだ。読売サッカークラブと日産自動車サッカー部を前身とするチーム同士が対戦した。
ヴェルディの主催でありながら、会場は等々力陸上競技場ではなく国立競技場であった。様々な来賓を招くなど特別な一戦として行われ、詰めかけた観客数は5万9,626人と超満員。横浜マリノスが2-1で勝利したこの試合は実に30%を越える視聴率を獲得し、Jリーグブームが起きることとなる。
先日の信州ダービーとは、スタジアムの規模、全国的な注目度、カテゴリーと全てが異なる。それでも同日に行われた試合としてこの2試合を比較すると、Jリーグの29年間での成長を感じることができる。
「ブーム」から「地域に根付いた人気」へ
1993年の一戦が生んだのは、前述のとおり「Jリーグブーム」だ。急激にサッカーへの注目が集まり、Jリーグの試合がゴールデンタイムに生中継されるなど、テレビをはじめとする全国メディアがこぞって取り上げた。しかし、食べ物や飲み物と同じくブームは数年間で下火になる。1995年頃から視聴率は下がり、Jリーグは途端に窮地に陥った。ブームとは、あくまでも一過性のものでしかない。
そこからJリーグの各クラブは、本来あるべき姿を目指していく。地域密着の姿勢を強め、爆発力はないものの一定の集客力を誇るコンテンツへと徐々に成長していった。クラブ数が増え、それに応じてJ2リーグ(1999年)J3リーグ(2004年)が作られ、平均給与の面では野球には及ばないものの、サッカーを仕事にする人の数が大きく増加。スタジアムもただ収容人数が大きいものではなく、球技場やサッカー専用スタジアムなど、観客の観やすさを優先したものが増えている。
テレビなど全国メディアで取り上げられる機会は少ないものの、クラブがある街のメディア、急速に発達したインターネットメディアに取り上げられることは多く、着実にJリーグを応援する人の数も増えている。クラブも、地域での活動に尽力し努力を続けてきた。
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