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親子鷹ならず!?父のようなスターになれなかったサッカー選手6選

ブルックリン・ベッカム(左)デビッド・ベッカム(右)写真:Getty Images

ブルックリン・ベッカム(父:デビッド・ベッカム)

2013年に現役を引退した元イングランド代表のスターMFデビッド・ベッカム。妻であるヴィクトリアは、アイドルグループ「スパイス・ガールズ」のメンバーとして名を馳せた。そんな2人の間に生まれたのが、ブルックリンである。

幼い頃は父のようなサッカーセンスを期待され、2014年にアーセナルのユースに加入することができた。しかしながら、わずか1年で同クラブを退団し、サッカーを離れている。

その後はモデルとしてのキャリアを歩むブルックリン。ファッション誌『ヴォーグ』中国版の表紙を飾ったことで中国で大きな人気を博し、通信機器メーカー「ファーウェイ」のアンバサダーも務めるに至った。他には写真界や料理界にも挑戦したようだが、それほどの結果を残してないどころか評価はとても低い。


エジーニョ(父:ペレ)

「サッカーの王様」「20世紀最高のサッカー選手」と評されるブラジルのレジェンドFW、ペレ。息子のエジーニョは、ポジションはGKだった。父の古巣であるサントス(1990–1991、1994–1998)に合格しプロになる夢を叶えたが、欧州に渡ってのステップアップは果たせずに29歳で引退を迎えた。

引退後はサントスでGKコーチを務めていたエジーニョだが、2005年に麻薬組織のマネーロンダリングに関与したとして逮捕される。2014年に33年の禁錮刑を言い渡され世界中で話題に。その後刑期は12年に短縮され、2019年からは「オープン・プリズン(開放型刑務所)」に通いつつ再びサッカーに触れることができている。

2020年にはサントスに戻りユースの監督を。2021年にブラジル2部のロンドリーナでユースの監督となり、現在は同クラブトップチームの指揮官(暫定)を任されている。


アンドレア・マンチーニ(父:ロベルト・マンチーニ)

現役時代サンプドリア(1982-1997)で大活躍をした「ミスターサンプドリア」ことロベルト・マンチーニ(現イタリア代表監督)には、アンドレアという息子がいる。ポジションは父と同じくMF。

アンドレアは、2010年からマンチェスター・シティU-21、オールダム・アスレティック(イングランド3部)、ファーノ(イタリア4部)でプレー。スペイン3部のレアル・バリャドリード・プロメサス(リザーブチーム)で1シーズン過ごし、ハンガリーに移って2クラブに所属。

2016年からアメリカに渡るも、違う大陸でも居場所を見つけることができなかった。D.C. ユナイテッド(アメリカ1部)では、カップ戦1試合のみの出場。わずか3ヶ月でNASL(北米サッカーリーグ)のニューヨーク・コスモスに移籍したが、同クラブでも2出場に留まり、2017年に引退を迎えた。

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名前Uccheddu Davide(ウッケッドゥ・ダビデ)
国籍:イタリア
趣味:サッカー、アニメ、ボウリング、囲碁
好きなチーム:ACミラン、北海道コンサドーレ札幌、アビスパ福岡

14年前に来日したイタリア人です。フットボール・トライブ設立メンバーの1人。6歳の時に初めてミランの練習に連れて行ってもらい、マルディーニ、バレージ、コスタクルタに会ってからミランのサポーターに。アビスパ福岡でファビオ・ペッキア監督の通訳も務めた経験があります。

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