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元長崎エース有光亮太、記録以上に記憶に残る男【独占インタビュー】

V・ファーレン長崎のゴール裏 写真提供:Gettyimages

V・ファーレン長崎のエースとして

ー2007シーズンから、V・ファーレン長崎に移籍した経緯を教えてください。

「他のJ2のチームだとかからもオファーをいただいたんですけれど、九州から離れた場所で。母が病気だったので、お断りさせてもらいました。九州内のクラブで探していたところ、Jリーグを目指していたV・ファーレン長崎があって。当時アビスパから福島洋、立石飛鳥、大塚和征だったりとか仲の良い選手がたくさん行っていたので、チームの状況もわかっていました。原田武男さんもいましたし。誘ってもらった時にビジョンを聞くと、九州リーグからJリーグ入りを目指すということでした。そこで、ここでもう一回再起を図って頑張ろうかなという気持ちで、V・ファーレン長崎入りを決めました」

有光は九州リーグで得点を量産。2年目、2008年にJFL昇格に導くと、JFLでもエースとして活躍。2011年にはJFLのベスト11にも選出されている。だが、その裏では難しい日々を過ごしてもいたようだ。

「長崎での2年目ぐらいまではまだライセンス制度があまり整っていなくて、Jリーグに入るためには将来スタジアムを改装すればいいよという感じで。JFLで優勝すればJリーグにいけるという話だったからモチベーションが高かったですね。ただそこから厳しくなり、様変わりした感じがします。クオリティーの高い選手が集まってくるんですけれど、スタジアムがJリーグの条件を満たしていなかったのでJFLで優勝してもJリーグに参入できない。いつになったら条件を満たせるのかという状況で、長崎で行われた第69回国民体育大会と2013シーズンに合わせてようやく改修されました。要は自分たちの力じゃどうしようもないところだったので、そこまでの3年間はその日を目指して日々頑張っていたみたいな感じでした」

2012年、条件付きながらついにV・ファーレン長崎J2ライセンスが交付され、チームがJFLで優勝したことで2013シーズンからのJ2参入が決定。迎えたJリーグ1年目のシーズン、有光は3試合に出場し、そのシーズン限りでの引退を発表した。

「2013年に古巣のアビスパと博多の森(現在の呼称はベスト電器スタジアム)で対戦させてもらった時に、長崎をこういう舞台まで連れて来れたという満足感があり、自分の中で糸が切れた感じでした。若い頃は自分のステップアップに焦点が当たっていたんですけれど、Jリーグに上がれなかった時期が長かった間に自分のステップアップよりもとにかくこのチームをJリーグに上げるというモチベーションにシフトしていて。だからJリーグに上がって1年過ごさせてもらった時に、もう来年はいいかなと思ったんです」

有光は引退後、長崎県佐世保市にクラブチーム「CA CELESTE(セレスト)」を創設。後進の指導を始めた。


写真提供:有光亮太氏

後進の指導で重視すること

ー有光さんは福岡の出身ですが、長崎にゆかりがあるんですか?

「ないです(笑)V・ファーレンにいたというだけで、佐世保も別にゆかりがあるわけじゃなくて。ただ、スタジアムが国体のために改修される1年間、JFLの試合を佐世保のグラウンドで戦っていたので佐世保に来ることがあって。米軍基地があることですごく特殊な雰囲気がある街で、県北らしいカラーのチームを作るにはいいんじゃないかと思っていて。ハーフだとかの子が多くて、うちのクラブにも何人かいるんですけれど、フィジカル的にもポテンシャルが高いですし。佐世保からは今まで1人もJリーガ―が出たことがなくて、初のそういう選手を育成していきたいというのもありました。住んでみて思ったんですけれど、佐賀にも福岡にも行きやすい地域なのでそこも良かったかなと思います」

ー指導者の道へ進まれましたが、元々指導者をしたいと考えていたのでしょうか?

「現役の時にB級ライセンスまで取っていました。引退した後、次のチャレンジをという時に持っている物を見直したら指導者のライセンスがあり、なおかつ将来Jリーグクラブで指揮をするとかいう夢もありませんでした。Jリーグのクラブという組織に入って自分の思ったようにはやれないよりも、自分の力でやれるところまでやろうというところでセレストを創設して指導者になりました」

セレストは2019年、全労済カップ九州少年県大会で初の県大会優勝。その後も素晴らしい戦績を残している。

ーセレストで指導するうえで重視していることはどういったことでしょうか?

「サッカーっていろんなスタイルがあると思うんですが、どこにいてもどんな場所でも使われる選手。どんな環境にも対応できる選手の育成、ということには重きを置いています。サッカーをするうえではこうじゃないといけない、こういうサッカーじゃないと俺はやらないよとか、こういう監督とは合わないとか、言ってられません。

でも育成の現場では、うちはこういうスタイルだからとか言う指導者は結構多くて。それに感化され、そういう場所じゃないと活躍できなかったり他のサッカーを否定したりするような選手は育てたくありません。将来、サッカーで全員がプロになれるわけじゃないので、どんな環境に身を置いても自分の力を発揮していけるベースというのを、サッカーを通じて培ってもらえたらいいなと思って指導しています。

サッカーには流行がありますが、それがどんな風にくるかは誰も読めないと思うんです。ですので、必要なスキルや基礎技術を高いレベルで習得させるという所と、どこに行っても輝けるメンタルの部分を育てて行けたらなと思います」

ーセレストの目標を教えてください。

「新たに社会人のトップチームを作ったんです。県北からJリーグをというのを掲げているので、クラブ自体の目標としてはJリーグ参入です。先にトップチームがあってそこにユースやジュニアユースという下部組織を付けてきたクラブじゃないので、育成年代からチームに入って最終的に育った街でプレーしてほしいという気持ちがあります。

それにプロクラブがあると、街にもっとに賑わいが生まれ、子供たちの目標にもなります。ですので今の1番の目標はJリーグに、少しでも上のカテゴリーにトップチームを持っていくという事で、それに加えてどこでも対応できるような選手の育成です」

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名前椎葉 洋平
趣味:サッカー観戦、読書、音楽鑑賞
好きなチーム:アビスパ福岡、Jリーグ全般、日本のサッカークラブ全般

福岡の地から日本サッカー界を少しでも盛り上げられるよう、真摯に精一杯頑張ります。

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