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元長崎エース有光亮太、記録以上に記憶に残る男【独占インタビュー】

有光亮太氏

2003年に当時J2のアビスパ福岡でJリーガーとなった有光亮太。2004年には福岡を柏レイソルとのJ1・J2入れ替え戦進出に導く。その後、当時九州リーグに所属していたV・ファーレン長崎でプレー。エースストライカーとして活躍した。間違いなく長崎Jリーグ参入の立役者の1人だ。

現在は長崎県佐世保市で指導者として後進の育成に尽力している有光氏に、プレーヤー時代から現在までのサッカー人生について話を伺った。


強豪校で腕を磨き単身イタリアへ

ーまず、サッカーを始めたきっかけは何だったのでしょうか?

「当時は野球のほうが流行っていたので野球をやりたかったんですが、理由は分からないんですけれど父親にダメと言われて。少し経って、サッカーチームの監督さんが熱心に誘ってくれたのでサッカーをやりたいと言ったところOKが出て、小学3年生に上がる頃にサッカーを始めました」

高校は東海大学第五高等学校(略称は東海大五)を選択。全国高校サッカー選手権への出場は叶わなかったが、現在は東海大学付属福岡高等学校と名前を変えた福岡県の強豪校で自分を磨いた有光。卒業後は単身イタリアへ渡った。

ロベルト・バッジョ 写真提供:Gettyimages

ーイタリアへと向かった経緯を教えてください。

「当時ACミラン(イタリア)から、元選手で指導者をやられていたリカルド・トゥミアッティという方が東海大五のコーチとして1年間来ていたんです。その関係で高校3年生になる前の春休みに、イタリアのミランとブレシアとキエーヴォ・ヴェローナのプリマヴェーラ(U-19の下部組織)のトレーニングに参加をし、その時に卒業したら海外に行こうと決めていました。ヴィッセル神戸さんだとかからオファーはいただいたんですけれど、日本でそのままプロになるよりも海外でチャレンジしたいという気持ちが強かったのでお断りをして。

それで、ちょうどロベルト・バッジョが加入した2000年に、ブレシアの入団テストを受けにイタリアに渡りました。テストの1週間前にイタリアに着き、その1週間セミプロのチームの練習に参加させてもらって、その時に試合にも出させてもらったんです。

そうしたらそこの会長さんに気に入られてぜひ入団してくれという事だったので、元々の目的のブレシアの入団テストも受けず、セリエDのレアルチェザーテに入団したという形です。そこで1シーズンを過ごしました。プロクラブではなく仕事しながらじゃないと労働ビザが出ないので、トラックの運転手をやりながらサッカーをしていて。翌年もイタリアかなと思っていたんですけれど、レアルチェザーテ自体が隣町のクラブと合併してなくなることになり、日本に帰ってきました」


アビスパ福岡のゴール裏 写真提供:Gettyimages

アビスパ福岡で初のJリーグの舞台に

ーそこからアビスパ福岡に入団するまで、2年弱空白の期間がありますが…。

「帰ってきたのが2001年の5月位だったんですけれど、日本は1月ぐらいからシーズンが始まるじゃないですか。シーズンの時期が違うので帰国後すぐの途中加入が難しくて、夏の入団を目指して京都サンガさんとかヴィッセル神戸さんとかいくつかJ1のクラブのテストを受けたんですけれどダメで。その時期、確か今井雅隆さんが監督の時にアビスパ福岡のテストも受けたんですけれどダメでした。そのままどこにも入れず、翌年になると再びJリーグのシーズンが始まって。

当時ニューウェーブ北九州(ギラヴァンツ北九州の旧名)が九州リーグにいて声を掛けていただいたんですけれど、どうしてもプロでやりたかったのでお断りをしていて。母校の東海大五で練習しながら1年間過ごしたんですけれど、モチベーションの維持が難しくなってきてしまいました。それでサッカーをやめようかなと思い、東海大五の恩師でもある平清孝先生のところに行って就職先を紹介してくださいと言ったんです。

平先生からは、最後にもう1回アビスパのテストを受けてみろと言われて。2002年のシーズンが終わってちょうど松田浩監督に変わる時に受けました。すると当時の管理強化部長である中村重和さんに、3ヶ月の練習生だったらいいよと言ってもらえて。練習生として入団させてもらったというのがスタートです」

ー初のJリーグの舞台はどうでしたか?

「最初は苦労しました。要は本格的なサッカーから2年位離れていたので、コンディション作りや身体作りという体力を戻すところから始まって、1年目は試合に絡めませんでした。それでも契約更新をしてもらい、2年目の2004年から身体もコンディションもフィットし、松田監督のサッカーも理解したタイミングで天皇杯位から使ってもらえるようになりました。ピッチの外から見ている分には絶対やれるという気持ちはずっとあったんですけれどね」

アビスパはこのシーズン、最後の8試合で8連勝。最終的に昇格は逃したもののJ2で3位に入り、J1柏との入れ替え戦まで持ち込んだ。その中心にいたのは間違いなく、8連勝中に5得点を決めた有光だった。翌2005シーズンも28試合出場5得点でチームのJ1昇格に貢献。2006シーズンには初のJ1で11試合に出場した。ただこのシーズンでアビスパを退団となり、次に有光が選んだ所属先は九州リーグに所属していたV・ファーレン長崎だった。

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名前椎葉 洋平
趣味:サッカー観戦、読書、音楽鑑賞
好きなチーム:アビスパ福岡、Jリーグ全般、日本のサッカークラブ全般

福岡の地から日本サッカー界を少しでも盛り上げられるよう、真摯に精一杯頑張ります。

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