
ジネディーヌ・ジダン
1995年夏のこと。歴史的プレミアリーグ優勝を果たしたブラックバーン・ローバーズ(現2部チャンピオンシップ)は、イングランドのトップに居続けるための新戦力を探していた。候補に上がっていた選手の1人が、フランス代表MFジネディーヌ・ジダン(2006年現役引退、2021年5月レアル・マドリード監督辞任)だった。
当時のジダンは、フランスのボルドーでスキルを十分証明していたが、2つの理由で選択されなかった。1つ目の理由は、プレミアリーグで活躍するにはまだ早いかもしれないとの声が上がっていたこと。2つ目の理由は、当時ブラックバーンのオーナーがスカウトの意見に反対したことだ。1994/95シーズン優勝に導いたキャプテンのティム・シャーウッドを高く評価していたオーナーは「ティムがいるのに、なぜジダンを獲得しなければならない?」と、獲得の話をあっさり却下したという。
結果、翌1995/96シーズン、ブラックバーンは上位に居られず7位でシーズンを終えた。一方、ジダンは1年ほどボルドーでプレーを続けた後、1996年7月にユベントスへの移籍を果たし、1998年にはバロンドールを受賞するほどのサッカー界のスターとなった。

ハビエル・サネッティ
1995年から2014年にかけてインテルに所属し、セリエAでプレーするイタリア国外出身選手としては最多となる公式戦出場記録(857試合)を保持しているアルゼンチン代表MFハビエル・サネッティ(2014年現役引退)。彼にもまた、目指していたクラブに注目されず苦しんだ時期があったようだ。
サネッティはインデペンディエンテ(アルゼンチン1部)の下部組織でサッカーをしていたが、フィジカル面の成長が遅かったことによって同クラブから放出されいる。サネッティはこのように当時のことを振り返る。
「僕はインデペンディエンテのサポーターであり、そこで5年を過ごした。体の成長が遅くもうプレーできないと言われた時はショックだったよ。1年ほどサッカーを離れ、石工であった父の仕事を手伝っていた。ある日、壁を壊す作業中に父に将来は何になりたいかと聞かれた。サッカー選手だと答えたら、もう1回トライすればと勧められたよ。それをきっかけにタジェレス(当時アルゼンチン2部)でトライアルをして、そこでプロキャリアが始まったんだ」

カカ
ブラジル代表FWカカ(2017年現役引退)は母国のサンパウロでプレーしながら(2001-2003)欧州クラブへの移籍を目指していた。バイエルン・ミュンヘンから注視されていたと言われているが、最終的に同クラブはカカとの契約をしない判断をした。
カカは後に欧州にて、その判断が間違っていたことを証明する。移籍を果たしたミラン(2003-2009、2013-2014)が、2006/07チャンピオンズリーグ(CL)準々決勝でバイエルンを破り(合計スコア4-2)、その勢いでタイトルまで獲得したのである。
さらに同大会での活躍によって、カカは2007年にバロンドールまで受賞することができた。突出した歴代最多受賞上位2名のリオネル・メッシ(同年3位)とクリスティアーノ・ロナウド(同年2位)を上回っての受賞となった。
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