サッカー選手に憧れ、プロを目指している若者が世界中に大勢いる中、その夢を叶えられるのは一握りの人だと言えよう。プロになるには魅力的なプレーでスカウティングされるか、クラブが行うトライアルでアピールすることが多い。
しかし、そんなスカウトの判断がいつも正しいとは限らない。サッカー史には、ビッグクラブの間違った判断、焦り、成長過程にある選手の虚弱な体格などを理由にした機会損失も付き物だ。
ここでは、ビッグクラブに断られた過去を持ちながら、サッカー界のスターになった選手6人を紹介しよう。その中にはバロンドール(世界年間最優秀選手賞)を受賞した選手もいる。サッカー選手になりたい者は自分の可能性を信じ、諦めずに夢を目指すべきであろう。
サンドロ・トナーリ
最近活躍中の若手選手、ミラン所属のイタリア代表MFのサンドロ・トナーリは、幼少期にミランのスカウトに無視されたことがあった。ロッソネーリ(ミランの愛称)の下部組織と連携しているクラブ、ロンバルディア・ウノに所属していたトナーリ。このクラブからは3ヶ月に1度、5〜6人の子供がミランユースのトレーニング施設に招待されていたが、トナーリは1度も選抜されなかったようだ。
それについて本人は「僕を選ばなかったというより、完全に無視されていたんだ。まだ小さかったかもしれないね」とコメントを残したが、ロンバルディア・ウノで指導者を務めていたダビデ・ガッティ氏によると、理由は別のところにあったという。「当時ミランユースは技術的に1対1を得意としている選手を好んでいた。トナーリのプレーは大人っぽく、それほど目立たなかったのが原因だろう」とコメントしている。
ハリー・ケイン
トッテナム・ホットスパーの大エースとなったイングランド代表FWハリー・ケイン。少年期の出来事がなければ、今頃ノース・ロンドン・ダービー(トッテナム対アーセナル)の相手であるアーセナルのユニフォームを着用している可能性もあった。
アーセナルの下部組織に所属していたケイン(2001-2002)が同クラブを放出された話が有名で、その理由は”ぽっちゃり”だったことだという。過去数年のケインのゴールラッシュの活躍に、アーセナル側も大きな間違いを犯したことを認める言及をしている。
2015年2月7日、トッテナム選手として初となるアーセナル戦。試合前ピッチに向かうトンネルの中で、ケインは「12年ほどかかったが、アーセナルの判断(僕を手放したこと)が間違っていたことを証明してやろう」とコメント。同試合で2得点を決め、トッテナムを2-1の勝利に導いた。
2018年に行われたインタビューでは「今思うと、アーセナルに放出されたことは人生の最高の出来事だったかもしれない。それによって当時の自分になかった情熱が生まれた」とコメントしている。
キリアン・ムバッペ
2017年8月にモナコからパリ・サンジェルマン(PSG)に移籍したフランス代表FWキリアン・ムバッペ。移籍金は1億4500万ユーロ(当時約174億円)にのぼり、歴代2位の高額となった。
今やこれほどの経済的価値を持つムバッペをは、2012年にチェルシーが獲得チャンスを無下にしている。トライアルが行われたものの、守備のスキルが十分ではなかったことを理由に再びトライアルが求められた。
当時スカウトを勤めていたセルジ・ダニエル・ボガ氏が、ムバッペの母に2度目のトライアルを依頼すると、彼女は「私の息子は(再トライアルを)しない。今契約するか、5年以内に彼を縛るために5000万ユーロを支払わなければならないだろう」と答えて断ったという。ムバッペの価値は母の想像も遥かに超えるまでになった。
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