ユベントスに所属の「CR7」ことポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドが、イングランドの強豪マンチェスター・ユナイテッドへ電撃移籍することが発表された。ユナイテッドはロナウドがかつて6年在籍し、公式戦292試合で118ゴールを挙げた古巣となり、このたびは12年ぶりの復帰となる。
ここではロナウドをリオネル・メッシと共に世界最高のフットボーラーへと押し上げた、かつてのユナイテッド時代(2003-2009)レアル・マドリード時代(2009-2018)の「最強ロナウド活用術」を振り返りたい。
ドリブラーから点取り屋への変貌(マンU時代)
2008年、バロンドールとFIFA最優秀選手賞をダブル受賞したロナウドは「自分のポジションでこれだけの得点数を挙げたことを評価してもらったと思っている」とスピーチした。
受賞当時ユナイテッドに所属していた23歳のロナウドは、プレミアリーグとUEFAチャンピオンズリーグ(CL)で2冠を達成したチームの顔になっていた。同2007/08シーズン、ロナウドはリーグ34試合の出場で31得点を挙げて得点王に輝き、CLでも得点王を獲得。しかし当時までのポジションは英国式[4-4-2]のウイングだったのだ。
2003年夏にユナイテッドへ加入した当初のロナウドは、レアル・マドリードに移籍したイングランド代表主将MFデビッド・ベッカムの後釜だった。急激に曲がって落ちる右足での正確無比なクロスやFKを長所とするベッカムとは打って変わり、独善的なドリブラーだったロナウド。驚異的なスピードと鍛え上げたアスリート能力をもって単独で縦へ突破し、シザースと呼ばれるボールを跨ぐフェイントを超高速で繰り返す曲芸的な技で魅せた。当時からシュート力も抜群だったが、加入3年目まではリーグでの得点数が4点、5点、9点と二桁には届かず。サイドアタッカーの域を出ていなかった。
2006/07シーズンにリーグ34試合の出場で17得点を挙げ、ユナイテッドもロナウド加入後初のリーグ優勝を達成。「点取り屋ロナウド」となる時代が始まるのだが、これにはイングランド代表のウェイン・ルーニー(現イングランド2部ダービー・カウンティー監督)とアルゼンチン代表のカルロス・テベス(無所属)という2人のハードワーカーが2トップを組んでいたことが関係している。2007年にテベスがユナイテッドに加入して以降、それまで前線での守備を精力的にこなしていたルーニーはそれをテベスに任せ、守備時にはロナウドのポジションをカバーした。ロナウドには得点力を活かすために前線に残って守備をある程度免除されるような措置がとられた。
ロナウドの守備の量を半分ずつ分け与えられたルーニーとテベスの負担は多かったが、もともとハードワークとゲームメイクにも長けた2人がこの役割を担ったことで、チームにとっても攻守の切り替えがより素早くなる好循環となった。現代サッカーでは一般的に攻撃時と守備時で布陣が異なる「可変システム」と表現される仕組みを、当時のユナイテッドは選手個々の連携や特徴で成立させていたのだ。
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