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ガンバ大阪は復調したのか?宮本恒靖前監督の解任と、埋まらない“サトシ”の穴

西野朗監督(左)片野坂知宏監督(右)写真提供:Gettyimages

G大阪を強豪へ導いた有能な歴代の“中間管理職”

思い返せばG大阪は、“中間管理職”の有能さで数々のタイトルを掴み、Jリーグ屈指の強豪へと生まれ変わって来た。

2002年から2011年まで10年間というJリーグ最長の長期政権を担った西野朗監督(現・タイ代表監督)。彼は口数が少なく、当時G大阪でプレーしていた若手MF寺田紳一(現・おこしやす京都AC)も「選手とほとんどコミュニケーションをとらない手法に『何なんだ?』と思っていたりもしつつ、マネジメント力が高くてオーラのようなものを感じた」と言及するような、一歩引いた位置からチームを束ねるマネジメント手法を採っていた。

そんな西野監督体制で掴んだ2005年のJ1リーグ初優勝時には、クラブOBの松山吉之コーチがいた。コミュニケーションを通してG大阪自慢の下部組織出身の若手選手を育成し、監督とのパイプ役となった松山コーチの存在は、クラブ史上初タイトル獲得に大きく寄与したことだろう。西野監督からの信頼も厚く、優勝決定の瞬間に監督と最初に抱き合った人物でもある。

その松山コーチが退任した2007年から後任として西野監督の参謀を務めたのは、こちらもクラブOBである片野坂知宏コーチ(現・大分トリニータ監督)だった。片野坂コーチは2010年から古巣サンフレッチェ広島のコーチへと転身し、2013年まで同職を務め、2014年からは長谷川健太監督(現・FC東京監督)体制下のG大阪に帰還。ヘッドコーチとして2年間務めて以降、大分の監督に転身。2018年にはJ2優秀監督賞、2019年にはJ1でも優秀監督賞を受賞するJリーグ屈指の知将として名を馳せることになる。

もちろん、片野坂氏は監督として独自の戦術“疑似カウンター”を披露するなど戦術家として十分に優秀なのだが、“中間管理職”としての有能ぶりにも目を見張るものがある。G大阪と広島のコーチとして2007年から2015年までの9シーズンで、J1優勝3回、天皇杯4回、リーグカップ2回、AFCアジアチャンピオンズリーグ(ACL)1回の合計10回のタイトル獲得を経験しているのだ。


10年前にも埋まらなかった“サトシ”の穴

2020シーズンG大阪はコロナ禍による過密日程を乗り越えてJ1リーグ2位、天皇杯では準優勝。近年はJ1残留争いが定番化していただけに大躍進を見せたのだが、シーズン終了後に山口コーチはチームを去った。片野坂氏のように、いずれは自身も監督として指揮を執りたいという本人の意向もあるのかもしれない。

今シーズンはJ2降格圏で低迷のスタートとなったG大阪は、5月に宮本監督を電撃解任。その後、松波正信強化アカデミー部長が暫定監督に就き、2連敗後の公式戦は3勝1分無敗と復調と評される。チームは松波氏を正式監督として体制を継続させ、現在はタイで集中開催されているACLグループステージに参戦。6月25日には初戦のタンピネス・ローバース戦(シンガポール)に挑む。

しかし、表面上は回復したように思われる成績面だが、勝利を挙げた相手はG大阪以上に今季苦戦を強いられている最下位の横浜FC、J1昇格組の徳島ヴォルティス、関西学院大学となっており、安易に「復調」とは言えない。今季より、宮本前監督とはS級指導者ライセンス取得の同期である依田光正氏が新たなコーチとして指導にあたっているものの、人心掌握やチームに一体感をもたらせる部分で“サトシ”こと山口コーチが抜けた穴は大きい。

ちなみに2011年に“選手サトシ”が退団した翌年、G大阪はJ1で17位に終わり、クラブ史上初のJ2降格を喫することになった。10年後の現在も要注意だ。

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