アルビレックス一択で内定を獲得
帰国後、アルビレックスで働くまでは、どういうステップだったんでしょうか?
松田氏:就職活動が始まった当初はやはりアルビレックスで働くことしか考えていませんでした。その為にこれまで時間を費やしてきましたからね。そこで、クラブに直接電話をし「新卒の採用をやっているか」を聞いたところ、答えはNOでした。自分の夢への挑戦が終わったというか、まず入口が開いていなかったんですね。アルビレックスで仕事をすることに執着していた私ですがこのタイミングで一度それを諦めることになります。その後はサッカースクールなどのスポーツ関係の会社にエントリーして、採用試験を受けていましたが正直なところ不完全燃焼の連続でした。そのような状況を周囲の方に相談していく中で、私自身が一番目指す先はどこなのか、満足できる結果を得るまでやり切れているのだろうかと今一度立ち返り、再度どうすればアルビレックスに入社することができるだろうかと考えました。その結果、スポンサー企業に入社することができれば、そこから出向という形でクラブに入ることができるのではないかという、あくまでも個人的な仮説を立てたのです。
その後、アルビレックスのスポンサー企業であるNSGホールディング様の選考に進むことができました。そこでも「アルビレックスで働きたいんです」とアピールし続けていました。すると選考がいくつか進んだ段階でNSGの人事の方から次回の選考よりアルビレックスの方で受けてもらいますとの連絡があり、そこから2回の選考を経て内定をいただくという流れでした
スクールコーチから留学事業へ
実際にアルビレックスで働きはじめてどうでしたか?
松田氏:まず率直に夢を実現させたことへの達成感はあり、うれしかったです。ただ、配属がフロントではなく育成普及部つまりサッカースクールのコーチだったので、本来私が目指していた立場ではない為、100%目標を達成できたわけではありませんでした。それでも、自身の役割を全うすることには変わりませんし、私も昔はスクール生でしたので、多くの子どもたちにサッカーをする楽しさを伝えること、その経験が子供達のこれからの人生において大切な瞬間になるように努めていました。
2年目のタイミングでアルビレックス新潟バルセロナに転職されたのですね?
松田氏:はい。スクールコーチとして新潟で勤務しておりましたが、その年の11月ごろ、アルビレックスシンガポールからお声がけいただき転職を決断しました。バルセロナの留学事業はアルビレックスシンガポールが運営母体となっているため、新潟からシンガポールに転職したという形になります。
アルビレックス新潟バルセロナは留学事業にあたるので、これまでの業務とは全く異なる分野ですが、私も実際お世話になった留学プログラムをより良いものにし、多くの方に参加していただきたいと思っていましたし、新たなフィールドで結果を出すことが次なる目標を達成する為に必要だと感じたため、転職を決意しました。
スクールコーチから留学事業への異動で苦労はありましたか?
松田氏:そうですね。スクールコーチは現場でのサッカー指導やJリーグ公式戦の前座試合やエスコートキッズに関わる業務がメインでしたが、営業だったり、事業戦略を立てたり、予算を管理する経験はバルセロナの仕事をするようになってから初めての経験でした。戸惑うことも多かったですが、幸いにも、失敗を恐れることなくチャレンジさせてくれる社風ですので、自身で仮説を立て、実際にやってみる。これを何回も繰り返していく中で、試行錯誤しながらも物事を進めていけるようになったと感じています。
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