
2020年7月27日(日本時間)セリエA第36節。ユベントスはホームのアリアンツ・スタジアムで吉田麻也所属のサンプドリアを2-0で制し、スクデット(セリエA優勝)を手に入れた。ユベントスは9年連続のリーグ優勝となり、これは史上初の出来事だ。
この「絶対的王者」を作り上げたのは、この9年間ユベントスのコンセプトを信じ戦い続けたベテラン選手、歴代の監督、そして適切なタイミングで獲得されてきた新戦力のおかげである。
今回はユベントスが9連覇した各シーズンから、最も輝き主人公となった人物をピックアップしてみよう。

ピルロ
ユベントスの栄光時代は、イタリアの最強ファンタジスタ(プレーメイカー)アンドレア・ピルロの獲得から始まった。
ピルロは10年間(2001-2011)赤と黒のユニフォームを纏い、ミランの歴史を作り上げた。引退までミランに残ってもおかしくなかったが、当時の監督マッシミリアーノ・アッレグリのもとでは出場機会が少なかったこともあり、ユベントスに移籍をすることを決意した。
当時ピルロはすでに32歳であり、高いレベルのパフォーマンスを見せられないと思ったユベントスサポーターも多かっただろう。しかし、彼はこのクラブの守備と攻撃の要となり、素晴らしいアシストの積み重ねでビアンコネーリ(ユベントスの愛称)を2011/2012シーズンのリーグ優勝に導いた。
それだけではない。ミラン時代の終わりには「荷物扱い」されていたピルロだが、同シーズンのベストプレイヤーに選ばれ、UEFA欧州最優秀選手賞では4位の座にまで上り詰めた。

ポグバ
2012/2013シーズン、ユベントスを2連覇に導いたのは、間違いなくフリーでマンチェスター・ユナイテッドから移籍したポール・ポグバである。
彼は元ゼネラルディレクター(GD)ジュゼッペ・マロッタが選んだ選手の中で最もビアンコネーリにとって有効なプレーヤーだったと言ってもいいだろう。
ユベントスがポグバを獲得した第一の理由は、彼にピルロの後継者を見出していたからだ。しかし、イタリアに渡ってから彼のポテンシャルが最も発揮されたポジションは、センターハーフ(ピルロのポジション)ではなくトップ下だった。
ポグバは素晴らしいパフォーマンスの継続によって、2015/2016シーズンからミシェル・プラティニ、ロベルト・バッジョ、アレッサンドロ・デル・ピエロなど、多くのレジェンドが背負ったエースナンバー10番を任されることとなった。

コンテ
2011年から2014年にかけてユベントスの監督を務めたアントニオ・コンテ(現在インテルの監督)。彼のビジョン、そして勝利に向かう“アングリー精神”がなければ、現在の絶対王者ユベントスは生まれなかっただろう。
コンテのスピリッツを最も感じさせられたのは2013/2014シーズンだった。シーズンの始まりにはローマとランキング1位の座を争っていたが、いつの間にかリーグ優勝への道はビアンコネーリの独走となった。しかし、ユベントスの本当のすごさはシーズン後半にさらに見せ付けられることになる。
同シーズン、ユベントスはチャンピオンズリーグ(CL)でトルコのガラタサライに1-0に破れ(2013年12月)グループステージを突破できずに大会を去ることとなった。
それによってコンテの怒りはユベントスの新たなガゾリンとなり、チームは3連覇を果たしただけではなく、リーグ戦で勝点102という結果を達成し、欧州記録を生み出した。
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