「ミランの歴史の中で最強のディフェンダーは誰?」と聞かれたら私は迷わずに「パオロ・マルディーニ」と答える。彼は25年間の長いキャリア(1984〜2009)の中でロッソネーリ(ミランの愛称)のユニフォームを背負い続けた忘れられない存在だ。
マルディーニはその長いキャリアの中でタイトルを26個も獲得。その中で最も目立つのはチャンピオンズリーグで残した結果だ。彼はミランと8回も決勝戦にたどり着き、5回もこの大会を優勝したのだ。1988年から2002年の間イタリア代表チームを背負い、8年間キャプテンも務めていた。
今回のコラムでは日本ではあまり知られていないマルディーニの面白いエピソードをご紹介する。
父チェーザレという厳しい存在
お父さんのチェーザレもミラン、そしてイタリア代表の大事な存在であった。あるインタビューでパオロは彼のことをこう語った。「とても厳しい父でした。彼にとって近道など存在しない。10歳でミランに入ったとき、ユースの監督が父に私がプレーしてほしいポジションを聞いていた。そのとき父はちょっと怒った顔で他の子供と同じ扱いをしてほしいと監督に頼んでいたよ。今の私がいるのは父のおかげだ」
マルディーニ(パオロ)は長い間お父さんの影に生きていた。自分がいい活躍をしても「さすがチェーザレの子だ」としか言われなかったという。しかし、欠かせない努力によってパオロはお父さんを超える、イタリアの誰もが知る存在となった。今はお父さんのチェーザレが逆に「あなたはパオロのお父さん」だと言われている。
現在、パオロは3代目のミラン選手を育てている。バトンを引き継ぐのは息子のダニエルだ。今年(2020年)ミランでプロになった彼はお父さんとお爺ちゃんと同じ道を歩み、世界的に有名な選手となれるだろうか?
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