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こんにちは。ダビデです。今日も私の知っている中田英寿を語りたいと思います。このシリーズを始めて読む方はまずは第1弾、第2弾、そして第3弾を読むことお勧めします。
2001年の夏、ローマとセリエAを優勝してから中田英寿はパルマに移籍した。ブッフォン、カンナバーロ、クレスポなどが別のチームに移籍して、中田が移籍した時のパルマはレベルが少し低くなっていた。しかし、ランキングの上位を狙える素質があるチームだったことに違いない。
中田がパルマに移籍した一番の理由のはローマの時より試合に出たかったからです。2001/2002年シーズン後は日本/韓国のワールドカップが行われる予定だった。その4年に一度のチャンスを見逃したくなかった中田はいっぱい試合に出て、アピールして、ベストコンディションに挑みたかった。
![中田英寿7](https://football-tribe.com/japan/wp-content/uploads/sites/23/2019/09/Screen-Shot-2019-09-19-at-15.02.08-800x450.jpg)
ペルージャとローマと違って、パルマが中田に求められていたのはファンタジスタ的な活躍ではなかった。期待されていたのはボランチ的な作業の方。ディフェンスラインまでボールをもらいに下がることが多くなった。そして、守備にも協力しなければならない場面も増えていた。昔のような攻撃に参加する場面が少なくなった。
中田は相変わらず一生懸命与えられたポジションに全力を出す。むしろ、中田はこの新しいポジションで動力、そして賢さを証明できたと思う。守備のカバーをしっかりこなし、ボール奪ったら前線に適切な縦パスを出していた。さすがに当時のパルマのカウンターは鋭かった。
中田の調子が悪くなくても、そのシーズン全体的に考えたらパルマはあまりいい結果を出せなかった。リーグでは10位のポジションで終了。チャンピオンズリーグ予選を突破できず、ヨーロッパリーグにもイスラエルのハポエル・テルアビブに負けて、準々決勝に進めることができなかった。
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