背番号「7」であった中田の良いパーフォーマンスはその後の試合にも続く。シーズン中にレベルの高い技術、正確なアシスト、そして素晴らしいドリブルをどんな相手の前でも見せつけていた。ボールを持った時の中田英寿を止めるのはとても難しいことだった。知らず知らずのうちに日本代表のMFはペルージャの中心の選手になった。
様々なポジションをカバーしていて、割と自由に動いていた印象がある。中盤にポジションをとって試合をコントロールする場面もあったら、サイドに勝負をかけたりする場面もあった。しかし、私にとって彼の1番の特徴は賢さだった。彼は試合の流れを100%理解しているようにプレーをしていた。誰がどこに顔を出すことが最初からわかっていたのようにフォワードに適切なパスを回していた。DFの裏を通る彼の縦パスは世界のトップレベルだった。
1998/1999シーズン、ペルージャは第一であったセリエAに残留する目標を中田のおかげで見事に果たした。いきなり日本からイタリアに来て、セリエAのような難しいリーグに中田は10得点も決めた。誰の想像も超える話だったので、イタリア人は「中田はキャプテン翼の主人公、大空翼の後継者だ」と騒ぎ始めた。
みなさんは信じられないかもしれないが、キャプテン翼は日本よりイタリアの方に大人気だった。私たちは子供の頃に翼のドライブシュートや日向小次郎のタイガーショットなど、キャプテン翼のキャラクターのマネをして過ごしていた。「中田は翼のように」という話は「中田はとんでもなく強い選手として認めた」という意味を持つ。
前のシーズンに続き、1999/2000シーズンにも中田はパフォーマンスを落とさずにずっとプレーしていた。そして、たくさんのビッグクラブの注目を集めた。(つづく)
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