ブラジルからスペインへ。ジエゴ・コスタのセルタを経る旅
コスタにとっては、スペインでの第1歩だった。
ブラジル生まれのフォワードは2006年からポルトガルのスポルティング・ブラガに在籍し、ヨーロッパにはすでに来ていた。彼がデビューしたセルタはポルトガルから国境を越えてすぐのところにある。彼がブラガにレンタルされて2006/07シーズンをそこで終えた後に、アトレティコ・マドリードが彼の権利を購入した。
マドリードに本拠地を置くチームは、コスタの次のレンタル先に当時2部で戦っていたセルタを選んだ。
彼がセルタに来た時、まだ18歳だった。しかしコスタには経験があった。1つ以上の意味で。
彼は14歳でブラジルとパラグアイの国境を越えて偽ブランド品を安く買い、利益のために母国で高く売っていた。これはサッカーとは関係なさそうだが、しかし彼がどのように自分自身を養ってきたのかについて、確実に説明する助けになる。
彼の能力はジョルジュ・メンデスのスカウトのひとりに見いだされ、スペインへの道を完結させる前にポルトガルへと渡った。
2007年の夏、アトレティコはストライカーのためのスペースに空きがなかった。ディエゴ・フォルラン、セルヒオ・アグエロ、ホセ・アントニオ・レジェス、ルイス・ガルシア、そしてシモン・サブローザがチームにいたからだ。それにより彼はビーゴに送られ、そこで成長した。
監督が3度も代わる荒れたシーズンで、コスタは6得点を記録した。彼は完璧ではなく、3度退場したが少しずつ自身の積極的なスタイルを、リーガのルールブックの解釈に合わせて和らげられるようになっていった。
『Diego Costa: The Art of War』の著者である、フラン・ギジェン氏は「彼は若かったから、どのように自分自身をケアし、どのように相手チームおよびレフェリーと折り合いをつけるのか、学ぶ必要があったんだ」と語っている。
ロッカールーム内での継続性を向上させるうえで、アルバセテ、レアル・バリャドリード、ラージョ・バジェカーノへのレンタル移籍は必要だった。しかし長期的な目線で見た時、セルタでの成長で得た利益はとても大きなものだった。
「彼はレンタル期間を経て大人になったよ」と述べたギジェン氏。「彼は子どもとしてスペインに到着し、最終的にはアトレティコで自分の居場所を見つけた。特筆すべき精神力のおかげでね」
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