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著者:Euan McTear
グラスゴー出身のジャーナリスト。イングランド・スペイン・スコットランドのフットボールに精通。スペイン紙『マルカ』や英紙『ガーディアン』に寄稿している。
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ネイマールは(レアル・マドリードの本拠地)サンティアゴ・ベルナベウで4回目の闘いに挑む。
Google・スペイン版でネイマールを検索すれば「ネイマール レアル・マドリード」の予測変換が表示される。バルセロナやPSGのブルーを捨て、ロス・ブロンコスの白いユニフォームを身につける…。マドリードのフロレンティーノ・ペレス会長も含め、移籍を期待している者も多いだろう。
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2006年、14歳のネイマールはスペインの首都マドリードで19日間過ごした。すでに将来を嘱望されていた彼は、当時の代理人ワグナー・リベイロ氏を介してレアル・マドリードと接触。下部組織入団のためのテストを受けている。
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ネイマールはいくつかのトレーニングマッチで27得点を記録。(のちにレアル・マドリードの主力DFとなるダニエル・カルバハルともプレー)当然、テスト結果は合格だった。
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「ヨーロッパへ旅をしていた6日間、私たちは何もできなかった」彼の父親は後にそう説明した。「すべてにおいて我々(の環境)とあまりに違っていた。このような機会に、私は父親としての直感を信じなければいけないと感じたんだ」
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「私は人生において多くの苦労を経験した。私は大人で成長した男だが、私の息子はまだ子供であり、彼が(この環境に)圧倒されたと感じることができた。彼は小さな家の中で育ったんだ。私の子供達4人は幼少時代、全員で寝室を共有した。私は彼とスペインにいたのに、彼は安心・安静から完全に離れているようだった」」
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家族はヨーロッパへの移籍を完全拒否したわけではないが、母国ブラジルのサントスへ戻ることを決断。ネイマールに取ってスペインが適したリーグであることを承知しながらも、「ときが正しくない」という判断を下している。
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レアル・マドリードは2011年に移籍金4500万ユーロ(約59.7億円)、年俸500万ユーロ(約6.6億円)の6年契約で合意間近となった。サンパウロのサン・ルイス・モルンビ病院でマドリードのメディカルチームであるカルロス・ディエズ氏とメディカルチェックを受けている。
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しかし、マドリードは父親の要求の多さに疑問を持ち、法律事務所や財務省に相談。獲得を断念した。
最終的にネイマールは2011年11月にサントスと契約延長。2014年ブラジルW杯までの契約を結んでいる。
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獲得を断念したレアル・マドリードに対し、バルセロナは毎年4000万ユーロ(約52億円)をネイマールの父親の会社に支払うなど交渉を続け、2013年にネイマール獲得を実現させた。
(その協定は公表されておらず、178ページ目に支払いの隠蔽を図った。カタルーニャのメディア・イーグルアイが発見)
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当時のサンドロ・ロセイ会長によれば、ネイマールの獲得費用は合計5710万ユーロ。内訳はサントスに対して1710万ユーロ、ネイマールの両親が所有するN&N社に「補償金」として4000万ユーロを支払った。
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だが、クラブの発表やスペインメディアによると、それ以外の支払いとして、契約金1000万ユーロ、エージェントへの手数料270万ユーロ、マーケティング料400万ユーロ、ネイマール基金に250万ユーロ、サントスやスカウト資金に990万ユーロと、合計2910万ユーロがかかっているという。
バルセロナはレアル・マドリードに勝利するために莫大な犠牲を払っていたのだ。
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その後のストーリーはご存知の通り。ネイマールは世界最高額となる移籍金2億2200万ユーロでパリ・サンジェルマンへ移籍。バルセロナは莫大な投資で手に入れた貴重な資産を自らレアル・マドリードへ売却することはあり得なかいことだろうが、今は26歳FWの未来を左右できる立場ではなくなっている。
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PSGのナーセル・アル=ヘライフィー会長は、ネイマールがレアル・マドリードに移籍することは不可能だと主張しているが、移籍市場におけるプレーヤーの変動は歴史が証明している。
近い将来クリスティアーノ・ロナウドにかわる新しいスーパースターを必要としている彼らには異常な金額を払う用意があるだろう。
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2006年にテストに招待されてから10年半が経ち、再びブラジルのトリックスターがマドリードのユニフォームを身にまとうかもしれない。
かつてバルセロナはアルフレド・ディ・ステファノを失った。歴史は再び繰り返すのだろうか。
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