Jリーグ 大宮アルディージャ

クラブ史上初のJ1制覇を成し遂げた川崎。小林悠は日本サッカー界の“伝説”に

得点王となった小林悠 写真提供:Getty Images

 川崎と鹿島は共に勝ち点72でシーズンを終えたが、川崎は得失点差で鹿島を上回った。(川崎39-鹿島22)タイブレークでの順位決定の基準にはならないが、鹿島がホームで3-0、アウェーで3-1と川崎を打ちのめしたことを覚えている。場合によってはどちらが優れたチームであるかに疑問を抱くこともある。しかし、2シーズン制で行われた2シーズンと最後の1ステージ制の10シーズンで優勝したうちの6クラブはシーズンを70ポイント以下で終了しているという事実もある。

 川崎は最終的に、常に追う側というトラウマを克服し、最も苦手とした鹿島に対抗した。カップ戦(2000年、2007年、2009年、2017年)の4度の銀メダルと天皇杯(2016年)での銀メダル。そしてJ1リーグ(2006年、2008年、2009年)の3回の銀メダル。川崎はタイトルがすでに手に入らないように思え、他クラブの結果に影響される状況で、最初のトロフィーの獲得を達成した。しかし、その中で川崎が負けることはなかった。潜在力を見せつけて耐え、最後まで頑張った。すべてのプレッシャーは鹿島の肩に重くのしかかり、彼らはそれに屈している。

 鬼木達監督はキャリアの初年度で風間八宏前監督のスタイルをよりバランスのとれたものにすることに成功した。川崎は美しく攻撃的なサッカーを続けつつ、ディフェンスをこれまでのように危険にさらすことをしていない。多くの得点を挙げ、失点は少ししか許していない。71ゴールのリーグ最高得点、リーグ3位の31失点、最高得失点差、そして得点王でありおそらくMVPの小林悠。彼はより高い年俸を貰えるガンバ大阪への移籍を断り、新たなチームのキャプテンとして個人タイトルを獲得した。彼は最終ラウンドでハットトリックを達成し23得点を挙げ、杉本健勇(22ゴール)興梠慎三(20ゴール)を抑え、得点王のタイトルを獲得した。彼は自身のブログで1年前に「やっぱり僕はフロンターレでタイトルがとりたいんだな…と。他のチームでとっても意味がないとその時に強く思いました」と語っている。今、彼は川崎サポーターの夢を実現させ、彼の名を日本サッカー界に伝説として刻んだ。

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名前:菊池大将
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