Jリーグ 大宮アルディージャ

クラブ史上初のJ1制覇を成し遂げた川崎。小林悠は日本サッカー界の“伝説”に

川崎が史上初のJ1タイトル獲得 小林悠は“伝説”へ

著者:チアゴ・ボンテンポ
1985年生まれのブラジル人ジャーナリスト。サンパウロ在住。幼少期よりスポーツとりわけサッカーを愛する。大学時代にジャーナリズムを専攻し2011年よりブラジル『Globo Esporte』で日本サッカーを担当している。ブラジルのボタフォゴ、アーセナル、そして日本代表の熱烈なサポーターである。将来の夢は日本語を流暢に扱うこと、富士山登頂、Jリーグスタジアムを巡ること。
Twitter: @GunnerTNB

 33節までにJリーグには7の異なるリーダーがいた。シーズンの後半を支配していた鹿島アントラーズは21節から連続して首位の座を守っていた。リーグ戦7試合を残し、8ポイントのリードを保っており、2試合でタイトルを決めることもできた。しかしながら、珍しいことに日本で最もトロフィーを収集しているクラブは、そのチャンスを指先から滑り落とした。最後の2試合のうち1試合でも勝利すれば、9回目のJ1タイトルを獲得できただろう。しかし、シーズン中に1度しか引き分けなかったクラブは、その2試合の0-0の膠着状態を克服することができなかった。1年間を通してダークホースとして過ごしてきた川崎フロンターレは、最終節で最高の形を見せた。15試合連続の無敗記録の中、34節の中で首位に立ったのは1度だけだった。最も重要な最後の最後だった。

 川崎は最後の数節のために戦っていた。ここで挫折することは鹿島にタイトルを与えることを意味する。最終節には、逆転優勝という奇跡を達成するために勝ち点3の獲得が必要不可欠だった。川崎は序盤から奇跡を達成するための条件を部分的に達成した。試合開始1分で大宮アルディージャから得点を挙げている。前半終了間際には追加点を挙げ、後半にさらに3点を奪った。等々力スタジアムで5-0と大勝を果たし、タイトル争いの頂点に立った。それでも静岡で鹿島がゴールを決めれば、タイトルは茨城のクラブのものになる。ヤマハスタジアムは最後まで緊張していた。ジュビロ磐田はリーグ戦4位とACLの出場権のために戦い続けていた。

 磐田が前半を有利に進めていたのにも関わらず、鹿島が後半を支配し、多くの明確なチャンスを生み出していた。伊東幸敏がエリア内で完全にフリーでボールを受けたときは同選手の足元にJ1リーグのタイトルがあった。しかし、彼の試みはカミンスキーによって防がれた。タイトルは金崎夢生の足元にも転がっていた。しかし、ポーランド人キーパーは横っ飛びでクロスに飛びつき、ボールはターゲットを見つけることができなかった。しかしタイトルはレアンドロがエリア内でDFを打ち負かしたときにも彼の足元にあった。しかし、フィニッシュはゴールの上を通過していった。最終的にタイトルはファーサイドにてフリーでボールを待っていた、山本脩斗のヘディングにかかっていた。しかし、彼はネットを揺らすことができなかった。磐田の観客たちは両チームが決定的なゴールを目指してカウンターを繰り返していたので、最後の白熱した数分間を目の当たりにすることになった。しかし、誰も得点を挙げることはなく、ヤマハがトロフィー授与式に参加することもなかった。

Previous
ページ 1 / 2

名前:菊池大将
趣味:サッカー観戦、映画鑑賞、読書
好きなチーム:ACミラン
幼少期に父親の影響でミランが好きになりました。アイドルはシェフチェンコ。パッション、データ、経済、カルチャー、サッカーの持つ様々な表情を見るのが好きです。よろしくお願い致します!

筆者記事一覧