
カターレ富山、藤枝MYFCの合併例
では現在Jリーグを戦うクラブの中で、Jリーグ入り前に合併した歴史を持つクラブを見てみよう。
J2
- カターレ富山(2007年合併):北陸電力サッカー部アローズ北陸とYKK APサッカー部
- 藤枝MYFC(2010年合併):藤枝ネルソンCFと静岡FC
- 水戸ホーリーホック(1997年合併):FC水戸とプリマハムフットボールクラブ土浦
- V・ファーレン長崎(2004年合併):有明SCと国見FC
J3
- ヴァンラーレ八戸(2006年合併):八戸工業SCと南郷FC
- 福島ユナイテッド(2006年合併):福島夢集団JUNKERSとFCペラーダ福島
- ギラヴァンツ北九州(2001年合併):新日本製鐵八幡サッカー部と三菱化学黒崎FC
- テゲバジャーロ宮崎(2009年合併):エストレーラ宮崎FCと宮崎産業経営大学FC
この中で“大型合併”と呼べるのは、当時ともにJFLで切磋琢磨していたアローズ北陸(富山市)とYKK AP(黒部市)の統合により誕生したカターレ富山だろう。Jリーグ入りを目指す中で、県や富山県サッカー協会が間に入り、強く後押ししたことが大きく寄与した。本拠地の都市が異なることで多少の摩擦はあったが、内部分裂と呼べるほどの対立が表面化することはなかった。
富山が2021年に迎えた現社長の左伴繁雄氏は、両クラブに縁もゆかりもない上、横浜F・マリノス社長(2001-2007)、湘南ベルマーレ専務(2008-2015)、清水エスパルス社長(2015-2020)を歴任した“プロのサッカークラブ経営者”だ。左伴氏の社長就任をきっかけにJ3にどっぷりと漬かっていたチームも徐々に成績を上げ、昨2024シーズンのJ2昇格プレーオフを勝ち抜き、実に11シーズンぶりにJ2昇格を果たした。そして今2025シーズン、昇格組にも関わらずJ2序盤戦の台風の目となっている。鹿児島とは正反対の成功例と言えるだろう。
藤枝MYFCの場合は、「ネットオーナーシステム」という全く新しいシステムを導入したことで注目された。静岡サッカー界における藤枝市と静岡市のライバル関係や、ネットオーナーシステムを推進した藤枝ネルソンCFとNPOによる運営だった静岡FCの間で運営方針の相違があったものの、「Jリーグ参入」という大目標のために万難を排し手を組んだことで、清水エスパルス、ジュビロ磐田に続く静岡第3のJクラブとして存在感を放っている。
ただSNS上で「静岡FCには限りなく黒に近い黒な人物がいた」「寝耳に水の話だった」「合併時の調整がスムーズではなかった」との書き込みがあったように、藤枝ネルソンCF側に不信感があったことが垣間見え、決して合併交渉が一筋縄では行かなかったことを伺わせる。

水戸、長崎、北九州、その他の合併例
水戸ホーリーホックの場合は、JFLに所属していたプリマハムFC土浦の解散に伴い、FC水戸が吸収したが、プリマハムFC土浦のJFLの参加資格を引き継ぐために、形式的にはFC水戸が吸収された形を取った。
V・ファーレン長崎は、有明町(現島原市)の有明SCと、長崎県立国見高等学校サッカー部OBを中心に結成された国見FCが統合したクラブが前身となっている。ともにアマチュアの“同好会”であったことから、合併はスムーズだったと思われる。
ギラヴァンツ北九州のケースでは、北九州サッカー協会が間に入り、新日本製鐵八幡サッカー部と三菱化学黒崎FCの対等合併を実現させ、前身のニューウェーブ北九州が創立された。
ヴァンラーレ八戸、福島ユナイテッド、テゲバジャーロ宮崎は、一方のクラブがもう一方のクラブを吸収するような形を取りながらも、吸収された側を“セカンドチーム”として存続させるなど、知恵を絞りながら禍根を残さない工夫がなされている。
また、世界に目を移せば、プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドや、セリエAのローマ、ラ・リーガのアスレティック・ビルバオなど、欧州5大リーグの名門クラブも合併の歴史がある。地方クラブともなれば、集合離散の歴史が連綿と続いている。
鹿児島の事件は、合併クラブを運営することの難しさを示す事例となってしまった。しかし、お互いに歩み寄り、落としどころを見付けることで成功した富山や藤枝のようなケースは、これからJリーグ入りを目指し、合併を試みようとしているクラブの指標となっていくのではないだろうか。
コメントランキング