Jリーグ 徳島ヴォルティス

柿谷曜一朗の引退でJリーグが失ったものとは

柿谷曜一朗(セレッソ大阪所属時)写真:Getty Images

海外挑戦から引退まで

2012シーズン、C大阪に復帰した柿谷は、FWやトップ下としてレギュラーポジションを奪取。中心選手としての活躍ぶりを見せる。ブンデスリーガのニュルンベルクやボルシア・ドルトムント、バイエル・レバークーゼン、セリエAのフィオレンティーナなどからオファーを受けるが、「ゼロ円移籍」を嫌った柿谷はそのオファーを蹴り続けた。

海を渡ったのは2014年7月。柿谷は150万ユーロ(約1億8,000円)の移籍金をC大阪に残し、スイス・スーパーリーグの名門バーゼルに加入する。4年契約を結び、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)にも出場したが、2015/16シーズンに入ると負傷をきっかけに監督の構想外となり、C大阪に再び復帰(2016-2020)。J2を戦っていたチームのJ1昇格に大いに貢献した。

2021シーズン、度重なるオファーに応える形で名古屋グランパスに完全移籍(2021-2022)。中心選手として活躍するが、翌2022シーズンに入ると、左腓骨筋腱損傷などの負傷が相次ぎ、徐々に出場機会を減らしていく。

そこに救いの手を差し伸べたのは再び徳島だった。しかし、前回の移籍時(2009-2011)とは立ち位置は全く異なり、ベテランとして若手の見本となることはもちろん、スペイン人のベニャート・ラバイン監督が掲げるポゼッションを重視するサッカーを体現する存在だった。

しかし、ラバイン監督が1シーズンも持たずに解任されると、柿谷は徐々に序列を落とし昨2024シーズンは無得点に終わり、契約満了となる。2024年11月の契約満了リリース時は「ヴォルティスで体が動かなくなるまでサッカーがしたかったのですが叶いませんでした。プロの世界なのでこの評価を真摯に受け止めて、この悔しさをバネに大きく飛躍できるように、これからも努力していきたいと思います」と現役続行の意欲を見せていたが、オファーが届くことはなく2025年1月、スパイクを脱いだ。


柿谷曜一朗 写真:Getty Images

Jリーグ全体にクラック不要の流れ

振り返れば、早熟であるが故キャリアの晩年は負傷との闘いだった柿谷だが、彼の引退はJリーグ全体におけるクラック(非常に優れた選手、名手)不要の流れの犠牲となってしまった感もある。カテゴリーを問わず現在のJリーグでは、テクニックで観客を沸かせる選手よりも、泥臭く走って守れる選手が重用される傾向にあることは抗いようのない事実だ。

昨2024シーズン、香川はC大阪でリーグ戦10試合出場にとどまった。清武はC大阪からサガン鳥栖への期限付き移籍を経て、2025シーズンはユース時代から所属した大分トリニータに16シーズンぶりに復帰した。トップ下として清水エスパルスのJ1優勝に貢献した乾でさえも、今シーズンの定位置が確約されていない微妙な立場だ。

カウンターとセットプレーばかりが重視されるJリーグにあって、魅せるプレーがどんどん排除され、柿谷のようなファンタジスタの活躍の場が減る一方であることは、長い目で見ればJリーグにとっての大きな損失だろう。

柿谷のセカンドキャリアはまだ明かされていないが、J1とJ2、海外移籍も経験した上、素行不良による移籍という辛苦も味わったことで、優等生だった元選手とは少し違ったタイプの指導者として開花する可能性があるのではないだろうか。

何せ、現役時代からプレーしながら「テレビゲームのように俯瞰して試合が見えていた」と豪語していたほどの天才肌だ。常人離れしたサッカーセンスは人に教えられるものではないが、本人のようなクラックを生かした攻撃サッカーを志向する指揮官になれるのではないかという期待感もある。

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名前:寺島武志

趣味:サッカー観戦(Jリーグ、欧州5大リーグ、欧州CL・EL)、映画鑑賞、ドラマ考察、野球観戦(巨人ファン、高校野球、東京六大学野球)、サッカー観戦を伴う旅行、スポーツバー巡り、競馬
好きなチーム:Jリーグでは清水エスパルス、福島ユナイテッドFC、欧州では「銀河系軍団(ロス・ガラクティコス)」と呼ばれた2000-06頃のレアルマドリード、当時37歳のカルロ・アンチェロッティを新監督に迎え、エンリコ・キエーザ、エルナン・クレスポ、リリアン・テュラム、ジャンフランコ・ゾラ、ファビオ・カンナヴァーロ、ジャンルイジ・ブッフォンらを擁した1996-97のパルマ、現在のお気に入りはシャビ・アロンソ率いるバイヤー・レバークーゼン

新卒で、UFO・宇宙人・ネッシー・カッパが1面を飾る某スポーツ新聞社に入社し、約24年在籍。その間、池袋コミュニティ・カレッジ主催の「後藤健生のサッカーライター養成講座」を受講。独立後は、映画・ドラマのレビューサイトなど、数社で執筆。
1993年のクラブ創設時からの清水エスパルスサポーター。1995年2月、サンプドリアvsユベントスを生観戦し、欧州サッカーにもハマる。以降、毎年渡欧し、訪れたスタジアムは50以上。ワールドカップは1998年フランス大会、2002年日韓大会、2018年ロシア大会、2022年カタール大会を現地観戦。2018年、2022年は日本代表のラウンド16敗退を見届け、未だ日本代表がワールドカップで勝った試合をこの目で見たこと無し。
“サッカーは究極のエンタメ”を信条に、清濁併せ吞む気概も持ちつつ、読者の皆様の関心に応える記事をお届けしていきたいと考えております。

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