10月23日、1回戦から決勝まで1日もインターバルのない“世界一過酷なトーナメント”といわれる全国社会人サッカー選手権大会(通称「全社」)が終了した。
初優勝した北信越代表の「JAPANサッカーカレッジ」、準決勝に進出し3位決定戦を制した九州代表の「ジェイリースFC」、4位となった東海代表の「FC刈谷」、そして四国リーグを制し既に出場権を得ている「FC徳島」が、11月8日に開幕する全国地域サッカーチャンピオンズリーグ(地域CL)へ進出。いよいよJFL昇格を懸けた、全12チームによる戦いが始まる。
その一方で、2022年の全社に出場したものの2回戦敗退に終わり、翌2023年と今年は出場すら叶わなかったクラブがある。サッカー漫画の不朽の名作『キャプテン翼』の作者、高橋陽一氏がクラブ運営法人の代表取締役を務めている「南葛SC」だ。
南葛SC、関東リーグでの結果
「葛飾からJリーグへ」を旗印とし、日本代表としてワールドカップにも出場したMF稲本潤一やMF今野泰幸をはじめ、元日本代表MF関口訓充、元U-19日本代表FW大前元紀、元U-16日本代表DF下平匠、さらには野洲高校時代には“セクシーフットボール”の中心として、全国高校サッカー優勝の立役者となったMF楠神順平といった一流選手を揃える南葛SC。
監督には、川崎フロンターレ(2012-2016)や名古屋グランパス(2017-2019)を指揮した日本サッカー界のレジェンドでもある風間八宏氏をテクニカルダイレクター(TD)兼任として招聘するなど、その名前だけで相手チームが震え上がりそうな顔触れで、今季の関東サッカーリーグ(KSL)に臨んだ。
しかし4月6日、開幕戦のジョイフル本田つくばFC戦をいきなり落としてしまう(0-1)。その後、3連勝し、いよいよ実力発揮かと思わせた矢先、1分けを挟んで連敗するなど、なかなか波に乗り切れず、リーグ中盤には4連敗を記録してしまう。結果、6勝4分け8敗(得失点差0)、最終順位は下から数えた方が早い6位に終わり、全社出場権も得られなかった。
「名前だけでは勝てない」を地で行くような結果だったわけだが、それ以前に、前述した有名選手の中でコンスタントに出場していたのは関口、大前、楠神くらいで、開幕スタメンだった今野は徐々に出場機会を失っていき、稲本に関してはベンチ入りすら叶わないシーズンを過ごした。
2023年にはJR新小岩駅近くの土地を取得し、サッカー専用スタジアムを建設する計画を発表。Jリーグ加盟に向け走り出したかと期待させたものの、同シーズンも6位に終わっている。
発足から『キャプテン翼』を巡って
その歴史を紐解くと、1983年、葛飾区立常盤中学校サッカー部OBを中心に「常盤クラブ」として産声を上げた。その後クラブ名を「葛飾ヴィトアード」に変えながら活動し、2013年、高橋氏を後援会会長に迎えクラブ名を「南葛SC」とし、ユニフォームもキャプテン翼に倣いシンプルな白とした。
続けて女子チームの「南葛SC WINGS」、フットサルチームの「南葛SC MARE PARADA」、下部組織も整備し、2019年には株式会社化し、高橋氏自ら代表取締役に就任した。
ここまでの経緯で高橋氏は、友人から「クラブ経営だけは絶対にやめておけ」と言われていたことをテレビ番組で明かしていたが、その禁を破ったことになる。そして、クラブ経営はその友人が助言した通り、壁に突き当たることになる。
南葛SCのゼネラルマネージャー(GM)は、雑誌『CALCIO2002』『サッカーキング』、ウェブメディア『REAL SPORTS』編集長などを歴任した岩本義弘氏なのだが、そのプロフィールの中に気になる文言がある。それは「キャプテン翼の版権管理」というものだ。キャプテン翼の版権は「株式会社TSUBASA」が持っており、岩本氏はその代表取締役も兼任している。
つまりは、高橋氏がどれだけ『キャプテン翼』を描いたとしても、その印税は一旦、岩本氏および株式会社TSUBASAを経由することになるのだ。キャプテン翼の版権については、2015年8月、サンセイR&Dからパチンコ台「CRキャプテン翼」がリリースされたことで、賛否両論が起きた。
ただでさえ子どもたちのヒーローが、ギャンブルのキャラクターとなることへのアレルギーがあった上、チームが積極補強を開始したタイミングだったことで、「パチンコメーカーへの版権販売はクラブの運転資金捻出のため」と噂された。
さらに作品のパチンコ化の意図について問われた高橋氏が「東日本大震災の復興支援のため」と、ピントがずれた言葉を発し、ただでさえ「原発事故による避難民は働きもせず賠償金でパチンコばかりやっている」という悪意に満ちた風評を浴びていた被災者を傷付け、ネット掲示板は高橋氏への批判コメントで溢れた。
この決断を最終的に下したのが高橋氏か、版権管理者の岩本氏かは、今となっては知る由も無い。しかしこの事実から、南葛SCが当時から金策に奔走していたことはであろうことは、想像に難くない。
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