かつて川崎フロンターレの下部組織で「アカデミー史上最高傑作」と呼ばれたMF三好康児も、今年で27歳。2015年に18歳で川崎のトップチームに昇格した天才レフティは、国内外クラブを経て2019年にベルギー1部のロイヤル・アントワープへ完全移籍し、2021年には東京オリンピックの日本代表メンバーにも選出された。しかし同年10月を最後に代表への招集はなく、2022/23シーズンには左膝の前十字靭帯損傷によりFIFAワールドカップカタール2022への出場は叶わなかった。
現在はチャンピオンシップ(イングランド2部)のバーミンガム・シティでプレーしている三好。カラバオ・カップで優勝するなど古豪としても知られ、2010/11シーズンにはプレミアリーグ(イングランド1部)に所属していたバーミンガムだが、翌シーズンから現在まで10年以上にわたりチャンピオンシップの常連に留まっている。
インタビュー後編では、海外リーグへの挑戦と東京オリンピック、日本とベルギー、イングランドでのサッカーの違いや自身のキャリアにおける最終目標について訊いた。
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初めての海外挑戦とコパ・アメリカ
ー期限付き移籍していた横浜F・マリノスから、2019年8月にベルギー1部のロイヤル・アントワープへ移籍しました。この時のことを教えてください。
三好:そもそも常に海外に行きたいって気持ちはあったので、オファーがあればと思っていました。マリノスにいく段階で「夏にもしオファーがあれば海外に挑戦したいです」という話はしていたので。6月くらいにコパ・アメリカがあって、そこで点を取ることもできてというのがたまたまのきっかけだったと思うんですけど、そこからオファーがちらほらあってアントワープに行ったって感じです。
ーコパ・アメリカ第2戦のウルグアイ戦で2ゴールを記録するなど見事なパフォーマンスを披露しました。コパ・アメリカの経験はどうでしたか?
三好:そうですね、僕の今までのキャリアのなかで記憶に残りやすいゴールかなと思います。一応A代表のキャップ数はついていますけどオリンピック世代中心で出たんで、アピールの場でもありました。自分自身もちろん五輪もそうだし、その先のA代表を目指すというところで、あんなに大きいチャンスはないじゃないですか。だからそのチャンスを最大限に活かそうと思っていましたし(2ゴールは)そこが1つ実った部分だったのかなと思います。
日本人がいないところを求めた
ーロイヤル・アントワープはどのような印象でしたか?
三好:当時は知らなかったんです。正直ベルギーがどこにあるのかも知らなかった(笑)。日本人選手が(ベルギーリーグに)何人かいたのは知っていましたし、それこそシント=トロイデンがベルギーで日本人オーナーのチームというのは知っていました。でも、アントワープの存在は全く知らず。前年に2部から上がってきたクラブでしたが、海外挑戦の1歩目としては日本人がいないところに行きたかったんで、誰もいなくて面白そうだなと。
ー日本人がいないところを求めた理由は?
三好:どうせ海外にいくなら1人で挑戦したいじゃないですか。挑戦している感が欲しいっていうか。もちろんバックアップがあったら楽なんだろうなと思うし(シント=トロイデンが)日本人オーナーであることを全く否定するつもりもないです。(海外移籍の)一歩目としてそこは魅力的だと思いますけど、どうせ挑戦するなら(日本人のいない)そういったところへ行ってみたいなと思ったんです。
ーアントワープでの4年間を振り返ってみていかがですか?
三好:毎年監督も代わっていましたし、なかなか安定しているチームではなかったです。ベルギーリーグ特有っていうか、選手も毎年10~15人ガラッと変わりますし監督もシーズン途中で代わって、みたいな。4年間いましたけど監督が5人くらい代わっています。
外国人の監督なんて僕のこと知らないじゃないですか。僕もそこまで言葉が堪能じゃなかったですし、ましてや1年目なんかほぼ英語喋れなかったんで、そこらへんの苦労は常にありましたけど。でもそれもまた楽しかったですね。
海外ではポジショニングに変化
ー海外リーグはフィジカル面が強く日本人選手にとって不利なこともあるかと思いますが、工夫していることなどありますか?
三好:そうですね。日本人としてそもそも外国人よりも不利っていうのもありますし、自分なんか身長が小さい時点でどうしても。自分がどれだけ動けると思っていても、やっぱり僕を知らない監督からしたら“ちっちゃい日本人”で片付けられちゃうので、それ以上の技術、それ以上の何かをチームにもたらすことができるっていうところをプレーで見せなきゃいけない。極力ボールに触れて数を増やせるように、そのアピールというか要求を常にしていました。言葉も堪能じゃなかったから、言葉でアピールできない分プレーでどれだけ魅せるかを常に意識してましたね。
ー日本でプレーしていた頃から変わったことはありますか?
三好:ポジショニングが結構変わりましたね。日本人同士とは違って意思疎通がしづらいんで、自分が出してもらえると思った距離感でボールが出せない選手が多かったりとか、ベルギーでは特に。「ここで欲しいんだけどな」とか思っててもそこに出せない選手が結構いましたね、自分の感覚では。
だからちょっと距離を近づけて、確実にボールを出せるところまで落ちてあげるとか。自分がボールを触らないことには何も始まらないので。自分がギリギリのところでボールを受ける受けないの駆け引きをしたくても、そもそもそこを見れてない選手が多い。僕は「マークに付かれてなくてボール出しても平気だよ」と思ってても、出す側は「相手に付かれているから無理だよ」と思ってるみたいな。
そういう意識の違いは結構あって、自分の感覚とベルギー人だったり別の国の選手がどう感じているかを埋め合わせるのは時間がかかった…というか、未だにあります。日本人選手はみんなそうなのかなと思います。
意思疎通のための言語習得も
ー英語が堪能ですが、どのように勉強したのですか?
三好:ベルギーに行く前から一応英会話に行っていて。(海外に)行くつもりだったんでやってましたけど、でもいざベルギーに行ったらそもそも英語圏でもない。ぼくも誰かと会話することがあまりなかったから、自分が思っていた英語よりもすごくフランクな感じで、もう最初は何を言っているのか全然分からなくて。ただ、別にサッカーすれば良いので言葉なんて分からなくても。
伊東純也くんがゲンク(KRCヘンク)にいて、あの人なんて未だに喋れるのかよく分からないけど「何も分かんねーよ」って言ってたんで(笑)「そうか、そういう人もいるんだ」って思ったら全然余裕じゃんって(笑)。でも、喋れるに越したことはないじゃないですか。だからちょっとずつやっている感じで、いまだに勉強中です。
ー現地のバーミンガムサポーターからは三好選手の英語は好評です。
三好:それこそここはイギリスだから。英語圏だから普段からみんな英語喋っているじゃないですか。毎日集中してやれば少しずつでもアップデートできる。いまだに英語の先生に家に来てもらったりしています。1ヶ月くらい前まで外国人の先生に週2で来てもらってて。それはベルギーの時もやっていました。
ー努力家なんですね!
三好:いや、暇じゃないですか!だって練習は午前で終わるし、どうせ海外にいるし何かサッカー以外にも身につけるとなったら語学ぐらいできていた方がいいじゃないですか。
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