フィリップ・トルシエ監督が率いるU-23ベトナム代表が3月1日に国内強化合宿を開始した。今回の合宿は5月にカンボジアで開催される東南アジア競技大会(SEA Games)に向けた準備。総勢41人が選出されており、この中には昨シーズンまでJ3アスルクラロ沼津に所属していたMFブイ・ゴック・ロン(21歳)も含まれる。招集メンバーのうち、国外クラブでのプレー経験があるのは同選手のみ。
ブイ・ゴック・ロンは163cmとフィジカルに恵まれていないが、スピード豊かなアタッカーとして将来を嘱望されている若手。名門ベトテルFCの下部組織を経て、2019年にタン・クアンニンFCでプロデビュー。その後、2021年末にサイゴンFCに完全移籍して、2022年から1シーズン、沼津に期限付き移籍した。沼津ではリーグ戦2試合、天皇杯2試合に出場。
ブイ・ゴック・ロンが歩んできたキャリアを見てみると、かなりの苦労人であることが分かる。相次ぐ怪我により、約6年過ごしたベトテル下部組織の退団を余儀なくされ、生活のために様々なアルバイトを転々とした。
2018年にはベトナムサッカー連盟(VFF)の食堂で働いていたが、サッカーを辞めて新生活を始めようとしている少年にとっては、サッカーを身近に感じてしまう辛すぎる環境だったため、他のレストランで調理アシスタントとして働くことにした。
転機が訪れたのは2019年。タン・クアンニンFC下部組織の練習に招待され、一念発起して本格的にサッカーを再開することを決意。2020年にはトップチームに昇格。殆ど出場機会は巡ってこなかったが、それでもキャリアが大きく好転したと誰もが思った。しかし、不運は続く。2020年から2021年にかけてタン・クアンニンの財務状況が悪化し給料未払いが発生。加えてコロナ禍により、リーグ戦が中止となり、生活のため縫製工場で働かなければならなかった。
結局、タン・クアンニンは解散。多くの選手が行き場を失う中、ブイ・ゴック・ロンはサイゴンのオファー受けて2021年末に入団。当時のサイゴンは、日本びいきのチャン・ホア・ビン会長のもとでJリーグ化を推進しており、MF松井大輔やFW高崎寛之ら元Jリーガーを多数獲得していたほか、FC東京、琉球FC、沼津と提携関係を築き、ベトナム人選手のJクラブ輸出プロジェクトを展開していた。
数人の若手がこのプロジェクトに抜擢され、琉球と沼津に期限付き移籍。ブイ・ゴック・ロンは他の2人選手と共に沼津に期限付き移籍した。無名に近い同選手にとって、J3沼津で過ごした日々は得難い経験となったが、不運はさらに続いた。性急な日本化により成績が悪化したサイゴンが2部に降格し、所属する全ての選手・コーチの契約解除を決めたのだ。またもや帰るべきクラブを失ったブイ・ゴック・ロンだったが、今シーズンから2部に昇格するホアビンFCに拾われ、なんとか無所属は免れた。
なお、トルシエ監督は、U-19ベトナム代表を率いていた3年前にも、ブイ・ゴック・ロンを招集したことがある。順風満帆なキャリアとは言えないブイ・ゴック・ロンだが、トルシエ監督はその存在を忘れておらず、今回のU-23ベトナム代表強化合宿で、改めて力量をはかりたい考え。
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