出来るだけレベルの高いリーグの大きなクラブへ移籍し、より大きな栄光を、年俸を手にする。個人事業主でもあるプロサッカー選手にとって、その目標はごく自然なものだ。実際に、その道のりを目指す選手が圧倒的に多い。
その反面、結果を残せずに契約満了となってしまう選手も少なくない。Jリーグの各チームには30人前後が所属しているが、試合のスタートからピッチに立てるのは11人のみ。競争は激しい。従ってサッカー界では毎年多くの選手が移籍するし、チームによっては一度に半数近くが入れ替わることさえある。
それが当たり前のことだと分かっているからこそ、各チームのサポーターはごく少数の“そうではない選手”に惹きつけられる。「バンディエラ(チームの象徴的存在)」と呼ばれる選手である。同じクラブで長期間プレーする選手のみに与えられるこの称号の価値は、クラブを熱く応援したことがある人間でないと分かりにくいものだろう。
そこで各クラブのバンディエラにスポットを当て、改めてその選手の凄さを伝えたい。第1弾は、アビスパ福岡のバンディエラ・城後寿だ。
城後寿が第1弾の理由
サンフレッチェ広島の青山敏弘、柏レイソルの大谷秀和、ベガルタ仙台の富田晋伍。すでに現役を退いたプレーヤーを加えると、川崎フロンターレの中村憲剛、鹿島アントラーズの小笠原満男、セレッソ大阪の森島寛晃、サガン鳥栖の高橋義希ら偉大な面々がいるなかで、なぜ第1弾が城後なのか。
筆者が福岡県出身で、アビスパ福岡を間近で観てきたこと。第1弾は現役の選手から選びたかったことは事実だ。ただそれだけではなく、城後には第1弾を飾るだけの理由がある。
2005年に国見高校から入団し現在もプレーする城後だが、この17年間のアビスパ福岡というクラブは波乱万丈だった。クラブはJ1リーグにずっといたわけでもなければ、資金力に優れていたわけでもない。むしろその反対。4度のJ1昇格と3度のJ2降格を経験し、2013年には経営危機が発覚し存続が危ぶまれた。2021年ようやくJ1残留を達成したが、これは城後のキャリアで初のことだった。
この間、城後のもとにはJ1リーグで優勝を争っていたサンフレッチェ広島や浦和レッズなどからオファーが届いていると報道されてきた。提示された金額は確実にアビスパより上だったろうし、移籍しても城後を責める人はいなかっただろう。それほどまでに、当時のアビスパ福岡というクラブは問題だらけだった。
ここまで不安定なクラブに所属し、安定した上位クラブからオファーがあったにもかかわらず、城後は悩みながらもアビスパから離れなかった。こういったクラブの状況は良いことではないが、こうした事実をかんがみて城後が第1弾にふさわしいと考えたのである。
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