日本サッカーの最高峰、明治安田生命J1リーグで大久保嘉人(セレッソ大阪)が積み上げたゴールは歴代最多の191。史上初の3年連続得点王という偉大な記録を持つ大久保は、時に批判を浴びながらもブレることなくプロ生活を貫き通し、2021シーズン限りでの引退を発表。11月27日の今季ホーム最終戦後には引退セレモニーが行われた。
強気な表情の裏に隠し続けた傷は、間違いなく蓄積していたようだ。「細い糸が、1本ぎりぎりつながっている状態でやっていた」という発言が、それを物語っていた。
誰よりも強い、勝利への貪欲さ
大久保は、誰よりもこだわりを持ってプロ生活を送ってきた。自分の得点に対してではない。「勝利」に対して。それを最も感じたのは、南アフリカで行われた2010FIFAワールドカップだった。
2008年に急病のため退任したイビチャ・オシム氏のあとを受け、岡田武史監督が率いた日本代表。積極的なプレッシングでのボール奪取を目指したものの、攻守に懸念が噴出してしまう。すると本大会直前、岡田監督は大博打を打つ。4-1-4-1のシステムでキープ力に長けた本田圭佑を1トップの位置に配し、他の10人でしっかりと守る。そこから堅守速攻を狙う形へと、戦術を大きく変更したのである。
それまで得点に絡むことを期待されていた大久保は、左サイドで上下動を繰り返しつつ攻守に関わることとなった。全てに納得していたかは分からない。それでも大久保は日本代表の勝利のため、課せられた役割を全うした。
グループリーグの3試合、決勝トーナメント1回戦の計4試合全てにスタメン出場をし、攻守に貢献したのち全てで途中交代。最も運動量を必要とするポジションでストライカーとしての我を抑え込み、海外で行われたワールドカップで初となるベスト16進出に大きく貢献した。
J1リーグで誰よりも得点を挙げたストライカーながら、勝利を優先しそのために全力を尽くすことができる。それは大久保嘉人の最大の武器だった。
2つのピークに見える、プレースタイルの変化
大久保の長きにわたるプロ生活で、ピークはいつだったのか。おそらく、2つの意見に分かれるだろう。
1つは2004-05シーズンのRCDマジョルカ(スペイン)時代。もう1つは2013~2015シーズンの3年連続得点王を獲得した川崎フロンターレ時代だ。マジョルカでエクトル・クペル監督のもとプレーした頃は突破力に長けたアタッカーで、自らの得点はもちろんサイドを攻略しチャンスを生み出す役割を担っている。
対して風間八宏監督のもとプレーした川崎フロンターレでは、チームのチャンスを作る能力が高かったことで大久保はフィニッシュワークに特化。2016シーズンも含めた4年間のリーグ戦で82得点と、Jリーグの中でも図抜けた数字を残している。
約10年近くの時間といくつものチームを経て2度のピークを迎え、そしてどうやったらチームが勝てるかを考えプレースタイルを変貌させていること。ここに大久保の真の凄さがある。
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