明治安田生命J1リーグ2021シーズン、第32節の結果をもってアビスパ福岡が残留を決めた。開幕前には解説者などから軒並み降格圏に予想されていたチームが、だ。それを覆したうえ、現在20チーム中8位に付けていることは見事の一言である。
アビスパ福岡の歴史を振り返り、この残留がどれほどの出来事なのか、またこの飛躍の要因は何なのか、ここに記す。
2000年の躍進。それ以降の長い苦しみ
遡ること21年前。西暦2000年、皆さんは何をしていただろうか。今とはまるで違う仕事をしていた?覚えてもいない?はたまた生まれてもいなかった?昔、と言って違和感のないその年。J1で戦っていたアビスパ福岡はネストール・オマール・ピッコリ監督のもと躍進。セカンドステージで6位に入り、優勝争いにも絡んだ。
当時のJ1リーグでは、鹿島アントラーズとジュビロ磐田が2強と言われていた。その2クラブに対しても、前者とは引き分け、後者には勝利。「闘う」姿勢を前面に押し出した当時のチームを、その勇姿を覚えているアビスパサポーターも多いだろう。このシーズンは無論J1残留を果たし、サポーターは更なる高みを期待した。だがこれは、次なるJ1残留に向けての長い長い戦いの始まりでもあった。
元韓国代表の盧廷潤、松原良香らを獲得して迎えた翌2001シーズン、期待に反し初のJ2降格を経験する。それ以降は昇格と降格を繰り返してきた。2005、2010、2015、そして昨シーズンと4度J1に昇格し、2006、2011、2016シーズンと過去3度は全て1シーズンでJ2に降格。4年かけて昇格し1年で降格するという、通称5年周期とも言われる流れの中で、さらなる追い討ちがサポーターを襲った。
クラブの広告料収入のうち大きな割合を占めるユニフォームスポンサー。その中で最も高額なのが胸スポンサーで、次点が背中スポンサーだ。アビスパ福岡はそのどちらもが空白で「練習着」と揶揄される期間を経験した。また2013年には経営危機が露呈し、クラブ消滅という最悪のシナリオ寸前まで追い込まれたことさえあった。
J1を長年の住処としているクラブにとって「残留」は当たり前、最低限のノルマに映るかもしれない。けれどアビスパ福岡とサポーターにとって、J1残留とは日韓W杯の頃から挑み続け、1度たりとも越えられなかった高く険しい壁なのである。
そんなクラブは、ここ2年で驚くような変貌を遂げた。
J3降格の危機から救ったのは…
2019シーズン、J2にてチームは崩壊寸前だった。サポーターでさえ分かる程に編成のバランスは悪く、本拠地のレベルファイブスタジアム(現ベスト電器スタジアム)はラグビーW杯の準備期間のため使用することができなかった。ようやくボールを奪い、カウンターを仕掛けようと選手が長い距離を持ち上がっても、味方がまるで攻め上がって来ない。その選手はストレスを露わにし、GKまでボールを戻してしまった程だ。
シーズン半ばの監督交代を経ても大きな改善はみられず、シーズンの最終盤までサポーターは「J3降格」という言葉に怯えていた。そんなチームが変わった要因として、何よりJリーグで実績のある指揮官を招聘したことが大きい。
アビスパ福岡が酷く苦しんでいた同2019シーズン、対照的だったのが水戸ホーリーホックだった。最後の最後まで昇格プレーオフを争い、過去最高の7位という成績を収めた。J2の中でも資金力に欠けるホーリーホック躍進の中心にいた人物こそ、現在のアビスパ福岡の指揮官、長谷部茂利監督だ。
順位で大きく下回っていたアビスパ福岡(16位)だったが、2020シーズンに向け長谷部監督就任が発表されたことは、驚きを持って伝えられた。加えて水戸で共に戦った、通称「長谷部チルドレン」の前寛之と村上昌謙を完全移籍で獲得。ドウグラス・グローリやエミル・サロモンソンといった今季J1でも活躍をみせる外国籍選手を加えることにも成功した。
期限付き移籍の使い方も巧みだった。上島拓巳(柏レイソル)や増山朝陽(大分トリニータ)といったJ1にいながら出場機会の少なかったら選手を補強し、チームには適切な競走が生まれた。大幅な入れ替わりとなったためにシーズン当初こそやや苦しんだが、長谷部監督のもと自信を取り戻したチームは徐々に加速していく機関車のごとく、時間の経過と共に完成度を上げ続けた。
志向するサッカーは、前線からの守備とコンパクトな守備ブロックを併用し、ボールを奪うと縦に速く仕掛けるというもの。言葉にすると簡単だが、細かなディテールにこどわり常に微調整を施し続けたことで、2020シーズン最終的には優勝した徳島ヴォルティスと同勝ち点。2位でのJ1昇格を掴んだ。連動性のまるでないカウンターからわずか1年。J2屈指の流暢な速攻は、チームに欠かせない大きな武器となっていた。
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