プレミアリーグ アーセナル

恨み節炸裂!ウナイ・エメリが語る当時のアーセナル

アーロン・ラムジー(左)ペトル・チェフ(中央)ナチョ・モンレアル(右)写真提供: Gettyimages

あの選手たちはクラブに残ってほしかった

エメリが率いた1年目はヨーロッパリーグ準優勝など輝かしい成績を残した。悪くはないように思えたシーズンだったが、エメリはチームの責任感やリーダーシップの欠如に危機感を感じていた。

「私はクラブ関係者にこうした課題を語ったが、それからのクラブの決断は私が考える方向へ上手く進まなかった。」

「例えば4人のリーダーたちがクラブを離れたことなどがそれに当たるだろう。アーロン・ラムジーはクラブを出ていくことを決心していた。もしアーセナルに残っていれば、クラブにとっても私にとっても良かったことだろう。ペトル・チェフは引退をした。しかし、ローラン・コシールニーやナチョ・モンレアルにはクラブに留まってほしかった。彼らの放出によってドレッシングルームは今までとは別の雰囲気になった。」

エメリから「残留」という熱烈なラブコールをもらったローラン・コシールニーだったが「アーセナルでの生活は幸せではなかった」と語っている。


ウナイ・エメリ 写真提供: Gettyimages

フロントの立ち振る舞いにもチクリ

またアーセナルのフロントの振る舞いに対しても疑念を抱いていたとエメリは語る。

「これまで率いたどのクラブでも、私は守られていた。セビージャではモンチ氏が、パリ・サンジェルマンではナセル・アル・ケライフィ氏がドレッシングルームでも公の場でも守ってくれた。」

「しかしアーセナルではそうした配慮がなかった。おそらく、かつてクラブを率いたアーセン・ベンゲルが何でもできたからなのだろう。フロントは『私たちはあなたと共にいる』と語っていても、ファンやドレッシングルームの前では私を擁護してくれなかった。私は孤立した。結果としてクラブを去らなければならなくなった。」

エメリにとって、過去の栄光にすがりそれが当たり前だと考えるクラブの現状維持の姿勢はどうやら合わなかったようだ。

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名前:秕タクオ

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サッカー観戦が日課のしがないサラリーマンです。かれこれ人生の半分以上はサッカー観戦に明け暮れ、週末にはキルケニー片手にプレミアリーグやJリーグにかじりついています。

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