クリスティアン・ビエリ
ビエリは1996年23歳の時にアタランタからユベントスに渡ったが、ユベントスでは良い結果を残せなかった。1番の理由は当時監督であったマルチェロ・リッピとの相性があまり良くなかったことだ。1997年1月12日に行われたユベントス対アタランタ戦のハーフタイムに、殴り合いの喧嘩をしたことは有名だ。
1996/1997年シーズンの間にビエリはユベントス で8得点を挙げ、スクデット(セリエAリーグ優勝)、UEFAスーパーカップを優勝したし、チャンピオンズリーグの決勝まで進んだ(決勝戦はボルシア・ドルトムントの勝利だった)。
ビアンコネーリとの冒険は悪くないものだったが、彼は当時クラブの代表だったジャンニ・アニェッリの残留リクエストを無視し、自らアトレティコ・マドリードに移籍することを決めた。ビエリはそれを「サッカーを始めてからの最も正しい選択だった」と語っている。
1998/1999年イタリア国内に戻ってラツィオで1シーズンプレーしてから、ビエリはインテルの歴史を描くこととなった。1999年から2005年の間に彼はネラッズーリ(インテルの愛称)で143試合に出場し、103得点を挙げた。そしてロナウド(ロナウド・ルイス・ナザーリオ・デ・リマ)ともにサッカー界の最も有名なコンビの1組となった。
ティエリ・アンリ
1999年1月。ユベントスは秋に大怪我を負ったデル・ピエロの代役として22歳だったアンリを獲得した。しかし、後に世界的な選手となるアンリは、ビアンコネーリではいい結果を残すことができなかった。
彼を強く求めていたリッピ監督が2月に辞任したことが、アンリがユベントスで活躍できなかったメインの理由だと考えられる。代わりに監督となったカルロ・アンチェロッティはアンリを得意としていたポジションの前線中央ではなく、ウイングとして起用していた。結果、ユベントスと過ごした6ヵ月間ででアンリは3得点しか挙げることができていない。
その後、1999年8月にアーセン・ベンゲルが指揮を執るアーセナルに入団。すると再び自分の本来のポジションで使われるようとなり、約10年間、世界のクラブが欲しくてたまらない選手へと化けたのだ。アーセナルでは254試合に出場し、174得点を挙げている。
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