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セリエAが大好きだった元NBAスター、コービー・ブライアントを偲んで

コービー・ブライアント 写真提供: Gettyimages

2020年1月26日、スポーツ界は大きなショックを受けた。元NBA(全米プロバスケットボール協会)スーパースターのコービー・ブライアント、そして13歳の娘のジアナがヘリコプターの墜落事故で死亡した。

NBAチーム、ロサンゼルス・レイカーズでレジェンドとなったコービーは、イタリア、そしてこの国のサッカーとも深い関係があった。

今回は、コービーとセリエAとの多くのつながり、そして彼とのお別れが穏やかな環境で行われることができなかったことについて紹介したいと思う。

コービー・ブライアント 写真提供: Youtube

背番号24のミランサポーターだった

アメリカ生まれのコービーは、6歳の時から7年間イタリアに住んでいた。同じくプロバスケット選手であった父のジョー・ブライアントが1983年にNBAを離れ、イタリアのバスケットリーグに所属したためだ。父と一緒にイタリアに引っ越したコービーはセリエAを観戦することになり、ミランのサポーターとなった。

2013年の夏、コービーはスーパースターになってから初めてミラネッロ(ミランの練習施設)を訪ね、見事なイタリア語で大好きなチームのことを語っている。

「ここに来るのが夢だった。子供の時からミランのサポーターで、ルート・フリット、マルコ・ファン・バステン、フランク・ライカールト、パオロ・マルディーニが所属していたドリームチームを見るのは楽しくてたまらなかった。レイカーズの私のロッカーには、ミランのユニフォームとマフラーが置いてあるよ」

一方、ロッソネーリ(ミランの愛称)は彼のミラネッロ訪問を祝って、コービーに赤と黒のユニフォームを用意した。もちろん背番号は、彼をレイカーズのスーパースターにした24番だった。

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名前Uccheddu Davide(ウッケッドゥ・ダビデ)
国籍:イタリア
趣味:サッカー、アニメ、ボウリング、囲碁
好きなチーム:ACミラン、北海道コンサドーレ札幌、アビスパ福岡

14年前に来日したイタリア人です。フットボール・トライブ設立メンバーの1人。6歳の時に初めてミランの練習に連れて行ってもらい、マルディーニ、バレージ、コスタクルタに会ってからミランのサポーターに。アビスパ福岡でファビオ・ペッキア監督の通訳も務めた経験があります。

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