Jリーグ 浦和レッズ

元浦和レッズ、ズラタンの現在地。早すぎた引退理由と日本への想い

写真提供: Gettyimages

ほぼ1年前のことだったが、未だに不思議に思う。なぜ浦和レッズのフォワードだったズラタン・リュビヤンキッチはこんなに早く引退したのだろう…。彼はまだ35歳だったし、浦和との契約が終わっても他のクラブであと数年プレーができたと思いませんか?

浦和で最後に過ごした2018シーズン時は、背中の痛みで随分悩んでいて、あまり出場できなかった。リーグ戦、カップ戦など全ての試合を含めても、ピッチに立ったのは11戦のみで、その中にスタメンだった試合はわずか。

しかし、2018年の11月には試合に復帰できるほど調子を取り戻しているように見えた。

そして、2018年12月9日の天皇杯決勝戦で浦和レッズはベガルタ仙台を相手に1-0勝利し、トロフィーを手に入れた。その試合にズラタンは途中出場し、キャプテンマークまで巻いて戦っていた。なのに…。

引退の理由は怪我だけだっただろうか?日本を離れてからの彼の情報を探って、引退の理由や現在の彼の生活などを調べてみた。

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浦和との契約延長はまず難しかった

2018年、ズラタンはクラブであまり時間を過ごしてなかった。長い間スロベニアに帰って、そこで背中の手術を受けた。また、浦和との契約は2018年末までだったそうです。クラブ側のことを考えると、12月にズラタンが復帰ができたとしても、契約延長を考えるのは難しいことだっただろう…。

また、ズラタンも責任感のある選手なので、自分がクラブのために全力を出せないと分かった以上、クラブに契約延長をお願いすることなどは考えもしないです。

というわけで、クラブにとっても、選手にとっても、契約延長という選択肢はまずなかったと思う。しかし、ズラタンは日本のチームにとって、理想的なセンターフォワードでありながら、セカンドストライカーやウィングのポジションにも使えるフレキシブルな選手であったことに変わりはない。

J2やJ1に上がったばかりのクラブなど、彼が万全な状態じゃなくても、興味を持っても不思議ではなかった。

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引退の選択には家族も大きな影響を与えた

おそらく、ズラタンの引退の件は前もって考えられたわけではく、怪我も含めていろんな偶然が重なってから出てきた話だろう…。その中で家族も大きな影響を与えたと思われる。

母国に戻ってから、スロベニアのメディアで受けたインタビューで「私も家族も母国のことが懐かしくなり、親戚から離れることが辛かった。日本にたくさんの友達がいたが、子供にとって、おじいちゃんとおばあちゃんなどがいないと、やはり寂しい。毎年のシーズンオフに帰って、親戚に逢ってから、日本に戻ることはいつも難しいことだった。」と発言した。

日本に住んでいる外国人として、私もその気持ちをすごくわかります。日本のことが好きじゃないわけじゃない。しかし、母国から離れている期間が長ければ長いほど、親や友人などのことを懐かしくなり、会いたい気持ちがどんどん強くなってくる。

きっとズラタンは自分のことだけではなく、自分の家族の未来も考えて日本を去ることにしただろう。

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スロベニアのインタビューで浦和へ感謝の言葉

彼は浦和で過ごした素晴らしい期間のことを、海外のメデイアに伝えている。スロベニアのオンラインメディア『siol.net』で受けたインタビューでは下記の言葉でクラブを称賛した。

「浦和はいつも私のことを大事にしてくれた。海外のクラブだったら、選手が長引くフィジカルの問題があると、すぐにレンタルに出されたりなどすることが多い。しかし、浦和は私の問題を理解し、私と一緒に解決しようとした。キャリアがうまくいかない時にクラブが選手を支えてくれるなんて…これほど嬉しいことはない。日本のこういったところ尊敬する」

また、「私は日本で問題を起こしたことがないし、全員と仲良くしていた。そして、クラブは私に何も隠さずに、いつも正直に話してくれた。この信頼関係はなかなか作れない素晴らしい関係だった」

母国に戻ってからも、こんなに熱く浦和のことを語るのは彼が日本という国が大好きな証拠です。そして、彼のように日本で活躍した選手が自分の国に戻り、日本の良さを伝えることで、日本のサッカーの評価がどんどん高くなる。素晴らしいことです。

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ペトロヴィッチ監督をヒントにする

ズラタンは現在地元で12歳の少年たちの指導をしているそうです。この仕事を受けたのは彼が本当に指導者に向いているかどうかを確認するためだったという。そして、ズラタンはこれから指導者の道を歩みたいという選択をした。

そこで記者から「浦和で監督を勤めていたミハイロ・ペトロヴィッチ(現在、北海道コンサドーレ札幌監督)からアシスタントのオファーがきたらどうする?」と、とても面白い質問をされた。

ズラタンは「もちろんオファーを受けます」とあっさり答え、「彼からたくさんのことを学んできた。これから私が指導者になっても彼のスタイルをヒントにするつもりです。ペトロヴィッチが作る雰囲気がいつも良くて、選手が伸び伸びできる」と続いた。

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監督になって、日本に戻ってほしい

ズラタンは現在指導者のCライセンスに合格して、これからも勉強し続けると言っている。たくさんの外国人監督は日本の生活になじめずに、長い間日本にいられない。しかし、ズラタンはこの国が大好きなので、いつか指導者として日本に戻って活躍することを願う。

そのためには、まずはUEFA Proライセンスを取る必要がある。まだまだ長い道のりです。その時が来るまで待てない方には心配しなくても大丈夫。まだ細かいスケジュールはたててないみたいだが、メディアによると、彼は2020年の東京オリンピックを観に来ることを考えているそうです。

名前Uccheddu Davide(ウッケッドゥ・ダビデ)
国籍:イタリア
趣味:サッカー、アニメ、ボウリング、囲碁
好きなチーム:ACミラン、北海道コンサドーレ札幌、アビスパ福岡

14年前に来日したイタリア人です。フットボール・トライブ設立メンバーの1人。6歳の時に初めてミランの練習に連れて行ってもらい、マルディーニ、バレージ、コスタクルタに会ってからミランのサポーターに。アビスパ福岡でファビオ・ペッキア監督の通訳も務めた経験があります。

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