他のプレミアリーグクラブと同様に、放映権料などにより莫大な資金を得ているだけでなく、クラブ存続の危機に際し手を差し伸べたデイビッド・ゴールド氏とデイビッド・サリバン氏の資金力により、派手な補強が目立つ近年のウェストハム・ユナイテッド。ただ、それが順位に反映されてはおらず、クラブに対する否定的な意見も少なくない。
ただ、ウェストハムはこれまで、豊富な資金力を背景にプレミアリーグを戦ってきたわけではない。育成期間で選手を成長させ、ビッグクラブに移籍させることでプレミアリーグを戦いぬいてきたクラブだ。近年でも、世界的に注目を集める20歳のデクラン・ライスはウェストハムの下部組織出身だ。
そこで今回は、ウェストハムの下部組織から世界へ羽ばたいていった5人のスター選手をご紹介する。
ジョー・コール
MLSのタンパベイ・ロ―ディーズでキャリアを終えたジョー・コールは1994年にウェストハムの下部組織に入団した。同選手はすぐに頭角を現し、わずか17歳でトップチームデビューを果たしている。ウェストハムでは若手ながらキャプテンを任され、2003年までプレーしている。
その後2003年にロマン・アブラモビッチ新体制となったチェルシーへと移籍。移籍当初こそ出場機会を中々得られない時間が続いたが、ジョゼ・モウリーニョ氏が監督に就任すると状況が一変。スーパーサブとして結果を残すと、アリエン・ロッベンが負傷したことでウィンガーとして起用された。そこで輝きを放ったことで世界的な選手としての評価を確立している。
フランク・ランパード
現在チェルシーで素晴らしい手腕を発揮しているランパード監督も、ウェストハムの下部組織出身だ。ジョー・コールと同じく、1994年にウェストハム下部組織に入団したランパード監督は、翌年にトップチームデビューを果たしている。ただ、ウェストハムでのランパード監督は、少し難しい状況にあった。伯父であるハリー・レドナップ氏が監督を務め、実の父がコーチを務めていたことにより批判の対象とされることが多かったのだ。
そのランパードは2001年にチェルシーへの移籍を決断。ここで得点力があるMFとしての真の力を見せつけたことで、世界最高MFの1人と評価されることとなった。ウェストハムでの境遇や、チェルシー移籍以降の活躍により、チェルシーのレジェンドという印象を多くの人が持っているのも当然だろう。
リオ・ファーディナンド
セントルシア人の父とアイルランド人の母を持つファーディナンドは、少年時代は貧しい暮らしを送っていたことで有名だ。ただ、1992年にウェストハムの下部組織に入団し、1995年にプロ契約を結ぶと人生が一変した。
1996/1997シーズンの中盤以降から先発の座を奪取し始めると、以降はスタメンに定着。2000年には当時としては超高額な1800万ポンドでリーズ・ユナイテッドに移籍している。ただ、負債により主力選手の維持が難しくなったリーズは2002年にマンチェスター・ユナイテッドへファーディナンドを売却することを決断している。
ユナイテッド加入以降のファーディナンドは、ドーピング検査を行わなかったことによる出場停止処分などの事件があったものの、ディフェンスリーダーとして君臨。12年間にわたって、プレミアリーグで最も成功を収めたチームでプレーし続けた。
ジャーメイン・デフォー
37歳となった現在でもレンジャーズでプレーを続けるデフォーも、ウェストハムの下部組織出身だ。1999年にチャールトン・アスレティックの下部組織からウエストハム下部組織に移籍したデフォーは、翌年にプロデビュー。2000/2001シーズンをレンタル先のバーンリーで過ごし、翌年にウェストハム復帰を果たすと2002年からは主力として活躍した。
そのデフォーに目を付けたのがトッテナム・ホットスパー。2004年冬に高額な移籍金を用意した同クラブへ移籍している。その後はロビー・キーにゃディミタール・ベルバトフとともに、強力な攻撃陣を形成。毎年のように10点台後半のゴールを挙げ続ける活躍を見せ、世界的ストライカーの仲間入りを果たしている。
マイケル・キャリック
現在マンチェスター・ユナイテッドでコーチを務めるキャリックもウェストハムの下部組織出身だ。1997年に下部組織に入団したキャリックは、FAユースカップを制するなどメキメキと頭角を現し、レンタル先でのプレーを挟んで2000/2001シーズンにトップチームでのポジション争いを制することに成功する。
その後、ウェストハムで主力選手として活躍したキャリックは、2004年にトッテナムに移籍。2年後にユナイテッドに加入している。ユナイテッドでは移籍初年度からレギュラーの座を奪取。同クラブでは数多のタイトルを獲得し。キャプテンとしてサポーターやチームメイトから数多くの称賛を集めている。
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