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【田島翔のサッカー人生】自ら営業までこなして函館から世界へ

FC函館ナチャーロ 写真提供:田島翔

FT:
そうした活動の中のひとつである「フットライズサッカーアカデミー」というのはどういったものですか?

田島:
サッカースクールです。サッカーチームにしてしまうと、チームの子どもたちしか指導できなくなるので、サッカースクールにすることで、たくさんの子どもたちと交流することを、ひとつの目的として考えています。

FT:
この他に、Jリーグを目指している函館のクラブの、アドバイザーもなさっているんですよね?

田島:
そうです。「FC函館ナチャーロ」ですね。フットライズに参加していた子どもの親御さんがナチャーロの関係者だったんです。

FT:
なるほど、そこでつながりが。

田島:
それでアドバイザーになってくれないか、っていうことを相談されたので、すぐに受け入れました。来年には、僕の地元の北斗市にサッカー場ができるんです。そこでFC函館ナチャーロとソウル・ユナイテッドで親善試合をやるっていう計画があるんですよ。

FT:
それはすごいですね。

田島:
ソウル・ユナイテッドも北斗市に行くって言ってくれて。

FT:
FC函館ナチャーロは、カテゴリーはどこなんですか?

田島:
クラブができたばっかりで、函館リーグの3部なんですけど、全勝優勝して来年は2部で戦うことが決まりました。僕も現役最後の1年間限定でナチャーロでプレーして、函館に恩返ししたいなと思っています。

FT:
そうなんですか。田島選手のキャリアを拝見すると、本当に地元や北海道を愛されているんだな、というのが伝わってきます。

田島:
でも、学生の頃はすごく函館のことが嫌いだったんです。函館の選抜とかにも選んでもらえなくて「なんで自分を選んでくれないんだ」っていう不満があって、それを見返したい気持ちばっかりでした。

FT:
あぁ、そうだったんですか。そのあたりの気持ちが変わってきたのはいつ頃なんですか?震災の影響もありましたか?

田島:
そうですね、その影響もありました。その時スペインにいたんですけど、すぐに戻ろうと思いました。テレビの映像で地震の被害とかを見ていたので、戻ろうと決めました。

FT:
でもスペインにいらっしゃって、ヨーロッパでプレーできるチャンスだったわけじゃないですか。さらに函館が嫌いだったっていう背景がある中で、どうして戻る決断ができたんでしょうか?

田島:
サッカーに関して言えば、スペインにまた戻ってこれるんじゃないかなっていう気持ちがあったうえで、地元が気になるっていう思いがあったんですよね。チーム関係者も戻った方がいいって言ってくれて。結局スペインには戻らないんですけど、そういった後押しはありました。

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