この夏はスーパースターの移籍に限らず、クラブのレジェンドが古巣のフロントに入閣したことでも話題を呼んでいる。ミランでは中国資本から米国資本へと経営権が移り、同クラブのレジェンドであるパオロ・マルディーニ氏が新たにフロント入りしている。そこで今回は現役時代に名を馳せ、かつ現在愛着を持つクラブの顔をなっているレジェンドを紹介する。
ハビエル・サネッティ(インテル 副会長)
現役引退年:2014年
経歴(選手時代)
1992-1993 タジェレス(アルゼンチン)
1993-1995 バンフィエルド(アルゼンチン)
1995-2014 インテル
主な獲得タイトル
CL(2009/10:インテル)
セリエA(2005/06、2006/07、2007/08、2008/09、2009/10:インテル)
コッパイタリア(2004/05、2005/06、2009/10、2010/11:インテル)
UEFAカップ(1997/98:インテル)
経歴(現役引退以降)
2014- インテル 副会長
サネッティは1995年7月にインテルに加入すると、本職である中盤センターのみならず、両サイドバック、サイドミッドフィルダー、センターバックなど数多くのポジションを任せられる。そのインテルではセリエA5連覇に大きく貢献したほか、09/10シーズンにはモウリーニョ監督のもと、36歳にして初めてのCLタイトルを獲得するなど3冠達成を成し遂げている。2013/14シーズンを最後に現役引退すると、サネッティが着用していた背番号4の永久欠番入りとともにクラブの副会長就任が発表。インテルでの公式戦859試合出場はもちろんクラブ歴代最多記録であり、セリエA通算654試合出場もミランのパオロ・マルディーニが持つ648試合を上回る最多出場記録である。
パベル・ネドベド(ユベントス 副会長)
現役引退年:2009年
経歴(選手時代)
1990-1991 ヴィクトリア・プルゼニ(チェコ)
1991-1992 デュクラ・プラハ(チェコ)
1992-1996 スパルタ・プラハ(チェコ)
1996-2001 ラツィオ
2001-2009 ユベントス
主な獲得タイトル
セリエA(1999/00:ラツィオ 2001/02、2002/03、2004/05、2005/06:ユベントス)
コッパイタリア(1997/98、1999/00:ラツィオ)
経歴(現役引退以降)
2012-2015 ユベントス スポーツディレクター
2015- ユベントス 副会長
ネドベドはラツィオで1999/2000シーズンに国内2冠達成に貢献するもクラブの財政難により2001年夏にユベントスへ移籍すると、派手さはないものの常にハードワークを厭わない姿勢でファンの心をつかむ。加入2年目の2002/2003シーズンにはCL優勝のチャンスが巡ってきたものの、累積警告で決勝に出場できず、チームもPK戦の末に敗れている。このシーズン終了後にネドベドはFIFAバロンドールを受賞すると、以降も主力としてチームを牽引。ユベントスが2006年夏にカルチョポリによってセリエB降格の処分が下り、数多くの主力選手が退団する中でも、GKジャンルイジ・ブッフォンやFWアレッサンドロ・デル・ピエロなどとともにクラブを再び欧州トップレベルに引き上げるべく残留を決断する。そして2009年夏に現役引退を発表すると、ユベントスのスポーツディレクターを務めた後、2015年10月に副会長に選出されている。
ミヒャエル・ツォルク(ドルトムント スポーツディレクター)
現役引退年:1998年
経歴(選手時代)
1981-1998 ドルトムント
主な獲得タイトル
CL(1996/97:ドルトムント)
ブンデスリーガ(1994/95、1995/96:ドルトムント)
DFBポカール(1988/89:ドルトムント)
経歴(現役引退以降)
1998- ドルトムント スポーツディレクター
ドルトムントの下部組織出身で1981年にトップチーム昇格を果たしたツォルクは中盤アンカーを主戦場とし、17シーズンに渡って主将としてチームを牽引。キャリア晩年にあたる1994/95シーズンからのブンデスリーガ連覇を経験する。その後、長年のクラブへの貢献度が評価され、1998年の引退と同時にドルトムントのスポーツディレクターに就任している。ツォルクが持つブンデスリーガ通算463試合出場はクラブ記録であるとともに、公式戦581試合出場も現役のGKロマン・バイデンフェラーの450試合を依然として上回る最多出場記録である。さらに公式戦通算161ゴールとクラブ史上最多得点数の記録も持っている。
マヌエル・ルイ・コスタ(ベンフィカ スポーツディレクター)
現役引退年:2008年
経歴(選手時代)
1990 ベンフィカ
1990-1991 ファフェ(レンタル移籍)
1991-1994 ベンフィカ
1994-2001 フィオレンティーナ
2001-2006 ミラン
2006-2008 ベンフィカ
主な獲得タイトル
CL(2002/03:ミラン)
セリエA(2003/04:ミラン)
コッパイタリア(1995/96、2000/01:フィオレンティーナ 2002/03:ミラン)
プリメイラ・リーガ(1993/94:ベンフィカ)
経歴(現役引退以降)
2008- ベンフィカ スポーツディレクター
ベンフィカの下部組織からレンタル移籍を経て1991年にベンフィカのトップチーム合流を果たしたルイ・コスタは、1994年夏にプリメイラ・リーガ制覇を置き土産にフィオレンティーナへ移籍する。そのフィオレンティーナではFWガブリエル・バティストゥータとのコンビでクラブを2度のコッパイタリア制覇に導き、セリエA黄金時代のファンタジスタとして名を馳せる。2001年からはミランで5年間過ごすも徐々に出場機会を減らしたことを受け、2006年夏に古巣ベンフィカ復帰を決断。復帰初年度は怪我に悩まされたもののラストシーズンである2007/08シーズンは主力として公式戦39試合に出場している。
エドウィン・ファン・デル・サール(アヤックス 最高経営責任者)
現役引退年:2011年
経歴(選手時代)
1989-1990 ノールトウェイク
1990-1999 アヤックス
1999-2001 ユベントス
2001-2005 フルハム
2005-2011 マンチェスター・ユナイテッド
獲得タイトル
CL(1994/95:アヤックス 2007/08:マンチェスター・ユナイテッド)
プレミアリーグ(2006/07、2007/08、2008/09、2010/11:マンチェスター・ユナイテッド)
エールディビジ(1993/94、1994/95、1995/96、1997/98:アヤックス)
UEFAカップ(1991/92:アヤックス)
経歴(現役引退以降)
2012-2016 アヤックス マーケティングマネージャー
2015- アヤックス 最高経営責任者(CEO)
1990年夏にノールトウェイクからアヤックスに加入したファン・デル・サールは1990年代半ばのエールディビジ3連覇を含め、クラブ黄金期を支える活躍を見せる。また1994/95シーズンにはCL制覇を果たしたほか、翌シーズンもユベントスに敗れはしたものの準優勝を果たしている。1999年夏のユベントス移籍後の2シーズンは調子を落としたかに思われたが、フルハムで再び本来のパフォーマンスを取り戻すと、2005年にユナイテッドへ移籍。そのユナイテッドで2007/08シーズンに再びCLタイトルを獲得するなど充実したキャリアの晩年を過ごす。そしてユナイテッドでの現役引退の翌年にあたる2012年に幹部として古巣アヤックス復帰を果たすと、2015年にはCEOに就任している。
フランチェスコ・トッティ(ローマ ディレクター職)
現役引退年:2017年
経歴(選手時代)
1993-2017 ローマ
主な獲得タイトル
セリエA(2000/01:ローマ)
コッパイタリア(2006/07、2007/08:ローマ)
経歴(現役引退後)
2017- ローマ スポーツディレクター職
幼い頃から熱狂的なロマニスタであり、16歳にしてセリエAデビューを果たしたトッティは、2016/17シーズン終了前に25シーズンに渡って過ごしてきたローマ退団を表明。シーズン終了後はメジャーリーグサッカー(MLS)入りが噂されるなど、現役続行・引退も含めて去就が注目されていた。その中、J2の東京ヴェルディが獲得間近に迫るもローマにとどまりたいという家族の意向で破談に。トッティもローマ幹部との会談でフロント入りを決意した。なお、トッティのセリエA618試合出場はハビエル・サネッティの654試合、パオロ・マルディーニの648試合、ジャンルイジ・ブッフォンの620試合に続く歴代4番目の記録である。またラツィオとのローマダービーでは公式戦通算44試合に出場し、11ゴールを挙げている。
パオロ・マルディーニ(スポーツ戦略および開発ディレクター)
現役引退年:2009年
経歴(選手時代)
1985-2009 ミラン
主な獲得タイトル
CL(1993/94、2002/03、2006/07:ミラン)
セリエA(1987/88、1991/92、1992/93、1993/94、1995/96、1998/99、2003/04、2010/11:ミラン)
コッパイタリア(2002/03:ミラン)
経歴(現役引退後)
2018- ミラン スポーツ戦略および開発ディレクター職
セリエA通算648試合出場という驚異の記録を持ち、フットボール史において最高のサイドバックという呼び声が高いマルディーニだが、昨夏に中国資本がミランの経営権を買収した際にフロント入りの打診を受けたものの、クラブの長期的プロジェクトが不透明であるという理由で断りを入れていた。しかし今夏にその中国資本からアメリカのヘッジファンド運営会社エリオット・マネジメントに経営権が譲渡され、再度打診を受けると、マルディーニはスポーツ戦略および開発ディレクター職という形で入閣を果たしている。
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