フランス代表の優勝で幕を閉じたワールドカップロシア大会。フットボール界はすでに移籍の話題で持ちきりだが、その中でも噂が絶えない選手のひとりがエンゴロ・カンテだ。今やチェルシーに欠かせない選手に成長した彼は、W杯でそのプレーとキャラクターで大いに注目を集めた。しかしここまでの道のりは、決して平たんではなかった。そこで今回は、カンテのサクセスストーリーを紹介する。
プロデビューまで
カンテはパリに生まれ、8歳からJSシュレンヌでプレー。彼の身長の低さと個性のない、あまりにもチームのためにプレーしすぎるスタイルにより、ビッグクラブから声がかかることはなかった。彼はここに18歳まで所属。そこからブローニュのリザーブチームに移籍することになった。
プロデビュー
2012年にブローニュでプロデビューを果たす。リーグ2の最終節でチームはすでにシャンピオナ・ナシオナル(リーグ3)への降格が決まっていた。そして翌2012/13シーズンはリーグ3では、1試合欠場するのみで、他のすべての試合に出場した。
カーン時代
2013年にリーグ2に所属していたカーンに移籍。リーグ戦の全38試合に出場した。カンテの活躍もあり、カーンはリーグ1へ昇格。2014/15シーズンもそのままカーンでプレーし、退場による出場停止で欠場した1試合以外の37試合に出場。このシーズンのボールリカバリー数はヨーロッパで1位の数字を記録した。
レスター・シティへ移籍、優勝
ジェイミー・バーディーやリヤド・マフレズをチームに連れてきた、敏腕スカウトのスティーブ・ワルシュによって、2015年8月にレスター・シティに引き抜かれる。チームと4年契約を結んだカンテは目覚ましい活躍を見せ、中心選手としてチームを牽引。チームは奇跡のプレミアリーグ優勝を果たした。このシーズンのカンテは175タックル(2番目の選手より31回多い)、175インターセプト(2番目の選手より15回多い)を記録し、PFAベスト11にも選ばれた。
チェルシーへ移籍、EPL2連覇
翌シーズンにカンテはチェルシーに移籍。ここでもシーズン優勝を果たし、エリック・カントナ以来の、異なるチームでプレミアリーグ2連覇を果たした選手になった。このシーズンにカンテは個人賞を多数獲得。PFAベスト11に2年連続で選出され、FWA(フットボール・ライター協会)年間最優秀選手賞を受賞。そしてプレミアリーグ年間最優秀選手賞も受賞した。
フランス代表その1
カンテの両親はマリからの移民であるため、2015年にマリ代表から代表招集があった。しかしこれを拒否。2016年にも同様に声がかかったが、カンテはマリ代表を選ぶのか、フランス代表を選ぶのかこの時点では決めていないとして招集に応じなかった。そして2016年3月にフランス代表からに選ばれ、オランダとの親善試合で同国代表デビューを果たす。同年に行われたUEFA欧州選手権(EURO)のメンバーに選ばれ、活躍したものの決勝戦では出番がなく、母国開催EUROは準優勝に終わった。
フランス代表その2
今年の6月に開幕したワールドカップロシア大会のメンバーにも選ばれ、中心選手として全7試合に出場。フランスにとって20年ぶり2回目のW杯優勝に大きく貢献した。大会後には、大会前に兄を亡くしていたことが明らかになり、彼の精神的な強さも称賛された。
さらに優勝を果たしたフランス代表の中でカンテのチャントが大人気に。バスの中でも会見でも歌われ、シャイで有名なカンテがはにかむ姿が話題となった。
プライベート
彼はブランド品を身に着けたり、高価な車に乗ったりすることには無頓着らしく、プロデビューしたブローニュでは、キックスクーターで練習に通っていた。さらに、2018年にはミニクーパー(中古車との報道もある)を運転する姿もとらえられている。彼は敬虔なムスリムでもあり、ブローニュ時代は定期的にモスクに訪れていたと、当時のチームメイトが証言している。
コメントランキング