ワールドカップ 代表チーム

W杯デビューから20年。日本代表10の歴史的瞬間

日本代表が初出場を果たしたフランスワールドカップから20年。世界最高の舞台にまつわる日本代表の歴史的な10の出来事を振り返ります。


ドーハの悲劇(1993年10月18日)

対戦相手:イラク代表

1994年アメリカW杯出場を目指す日本代表は予選最終戦のイラク戦で、試合終盤まで三浦知良と中山雅史のゴールで2-1のリードを保っていた。そのまま試合が終了すれば初のW杯出場が決まるアディショナルタイム、イラクの意表を突いたショートコーナーからのクロスを守り切れず、日本代表は同点に追いつかれる。この結果韓国代表に得失点差で上回られた日本は、W杯初出場の夢を目前で逃した。


ジョホールバルの歓喜(1997年11月16日)

対戦相手:イラン代表

アジア最終予選B組を韓国に次ぐ2位で終えた日本は、W杯出場権を掛けてイラン代表と一発勝負のプレーオフに臨んだ。中山雅史のゴールで先制した日本は後半に逆転を許し窮地に追い込まれるが、城彰二のゴールで追いついて試合は延長戦へ。途中出場の岡野雅行が中田英寿のミドルシュートのこぼれ球を押し込んでゴールデンゴールを決め、日本サッカー界の悲願を達成した。


W杯デビュー戦(1998年6月14日)

対戦相手:アルゼンチン代表

記念すべきW杯デビュー戦、日本代表は優勝候補のアルゼンチン代表を相手に守備を固める。しかし28分に名波浩がクリアしそこなったボールがバティストゥータに渡り、ゴールを決められてしまう。0-1の僅差ながら、世界の強豪との実力差を感じさせる試合となった。


W杯初得点(1998年6月26日)

対戦相手:ジャマイカ代表

1998年W杯で最も勝てる見込みがあると思われたジャマイカ代表に2点のリードを奪われ世界レベルの厳しさを実感する一方、後に右足を骨折していたことが判明する中山雅史が74分に呂比須ワグナーの折り返しをゴールに押し込み、記念すべき日本代表のW杯初ゴールを記録した。


地元開催で世界を驚かす(2002年6月4日)

対戦相手:ベルギー代表

地元開催となった2002年W杯の初戦、日本代表はベルギーに先制を許した直後にゴール前に抜け出した鈴木隆行が相手GKの前でボールに触り同点弾を決める。さらに稲本潤一が豪快な2点目を決め、日本が世界レベルで戦えることを証明して見せた。


森島が地元大阪でゴール(2002年6月14日)

対戦相手:チュニジア代表

引き分けでもグループリーグ突破が決まる第3戦、勢いに乗る日本代表は相手のクリアミスを突いたセレッソ大阪所属の森島寛晃が地元長居スタジアムで先制点。中田英寿が追加点を決めて勝利した日本は、初の決勝トーナメント進出を決めた。


柳沢まさかのシュートミス(2006年6月18日)

対戦相手:クロアチア代表

オーストラリア代表に逆転負けを喫した後の2006年W杯第2戦、日本代表は51分にペナルティエリアに侵入した加地亮がゴール前でフリーの柳沢敦へ絶好のクロスを送る。しかし柳沢は右足アウトサイドでのシュートは目の前のゴール方向に飛ばず、枠の右へ。最大のチャンスを逃した日本は、勝利を掴むことができなかった。


本田と遠藤のFKで決勝Tへ(2010年6月24日)

対戦相手:デンマーク代表

初戦カメルーン戦の勝利で勝ち点3を手にしていた日本代表は、グループリーグ突破の掛かる第3戦で17分に本田圭佑のブレ球FKにより先制。その14分後には今度は遠藤保仁のカーブを掛けたキックが決まり、直接FK2本で史上2回目となる決勝トーナメント進出を決定づけた。


駒野のPK失敗で惜しくも敗退(2010年6月29日)

対戦相手:パラグアイ代表

初の準々決勝進出を狙った岡田ジャパンは南米の強豪パラグアイに120分間ゴールを許さず、試合はPK戦に突入する。両チームのキッカーが成功を続ける中、日本代表の3人目駒野友一がシュートをクロスバーに当てて失敗。パラグアイは5人全員がゴールを決め、日本代表はわずかな差で敗退となった。


10人のギリシャから勝利を奪えず(2014年6月19日)

対戦相手:ギリシャ代表

初戦でコートジボワールに敗れ第2戦で勝利が必要な状況となった日本代表。前半のうちにカツラニスが2枚目のイエローカードで退場したギリシャを攻め立てたものの、最後までゴールを奪うことはできず。グループリーグ突破の希望がしぼむ痛恨の引き分けとなった。