ラ・リーガ

スペインのローカルダービーを巡る旅:バスク・ダービー編

ベギリスタイン

元レアル・ソシエダの選手、チキ・ベギリスタイン氏 写真提供:Getty Images

 

綺羅星のごとく居並ぶバスクのスター選手たち

 現在、プリーメーラ(1部)とセグンダ(2部)でそれぞれ得点王に輝いた選手には「ピチーチ賞」が送られている。このピチーチとは、ラファエル・モレノ・アンサルディという、アトレティック・クラブでプレーした人物の功績をたたえて作られた賞だ。彼は1911年から1921年までプレーしたストライカーで、コパ・デル・レイでクラブを4度の優勝に導き、最後に優勝した1921年の翌年に29歳の若さでチフスによりこの世を去った。

 そして「スペイン史上最高のストライカー」と称賛されたテルモ・サラも、アトレティック・クラブでプレーした選手だ。リーグ戦38得点はウーゴ・サンチェスと並び、クリスティアーノ・ロナウドに破られるまで最多記録だったし、1シーズン48得点もリオネル・メッシに破られるまで最多記録だった。1部と2部のスペイン人最多得点者に送られる「サラ賞」は、ピチーチと同じように彼を称えて作られた賞である。

 一方のラ・レアルはパコ・ビエンソバスを輩出した。彼は第1回のピチーチ賞の受賞者であり、リーガ・エスパニョーラが設立されたその年にクラブを4位に導いたレジェンドだ。日本でもおなじみの、「チキ(バスク語で“小さい”の意)」ことアイトール・ベギリスタインもラ・レアルのOBだ。

 この両クラブから、数多くの名手が生まれる要因のひとつに、彼らの哲学がある。

 ラ・レアルは1989年まではバスク人選手のみでチームを形成する方針をとっていた。そしてアトレティック・クラブは今もなおバスク人のみで形成される(現在は直系の先祖がバスク人なら入団可能)クラブである。彼らは地域の誇りであり、バスクを象徴する存在なのだ。

 この2クラブが戦う「バスク・ダービー」の歴史において、それを強く感じさせる出来事が1975年に起きた。

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