私が若い頃、よく昆虫になった自分を想像していた。実際の昆虫たちは、私が想像していたものよりも遅く動いていた。ウガンダでヨチヨチ歩きの幼児だった時に、カマキリが私のそばの小枝から私をじっと見つめていることに気が付き、恐怖で動けなくなった経験がある。数年後、私の額を飛び歩くユウレイグモの行動範囲は、私にはどうにもできないことを学んだ。これらの生き物について私は何もわからない。きっと彼らはその空間を支配していると確信しているのだろう。そしてどこかへ急ぐ必要もないのだ。
これらの生き物と同じような行動をとるワールドクラスのサッカー選手がいる。アーセナルとユベントスで活躍したリアム・ブレイディは、「さまよう人」との評価を得ていた。カルロス・バルデラマには誤らなければいけないが、典型的な選手を挙げるとすれば、それはファン・ロマン・リケルメだろう。バルデラマはその堂々としたイメージによって、何人かの人を裏切ることになるだろう。もしYouTubeで彼の動画を十分に見れば、彼がジョギング以上のペースでプレーしているシーンを、見つけることができるだろう。一方のリケルメはいわば、半分人間で半分ブレーキのような存在だ。時々あなた方は彼が、デッキチェアをピッチ中央に持ち出してそこに座り、プレーに介入するに足りると感じるまで、軽蔑的な態度で行動を監視しているように、感じることもあっただろう。しかし、自身の魔法にかけられたボールがどこにどうやって移動するのか、いくつもの道筋がすでに見えているにもかかわらず、走る必要はあるのだろうか。
ルイ・ファン・ハールやジョゼ・モウリーニョのような現実的な監督が、リケルメのような選手を理解していないということは良く語られている。しかし実際には、彼らはそうしたタイプの選手をとてもよく理解しているのだ。それとともに過小評価もしている。彼らは、もしもリケルメのような選手たちを正しく起用すれば、特別な才能を集団の中に導けると考えている。ファン・ハールやモウリーニョは軍人以上に感傷的ではない。さらにリケルメのような詩人を自らの意思の方へと、傾けることができると思っているのだ。問題は、彼らが想像以上にそしてじれったいほどに、規律に対して反抗することだ。
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